学校のおまつり
さて、そんな学校のお休み前は、もうすでにお休みに入る前のうきうき感がただよってくるような事柄が満載です。たとえば先週の土曜日は学校のお祭りがありました。子ザル君の学校は私立なのでこんなのがあるのか、公立でも休み前はこんなお祭りがあるのかしりませんが、とりあえず日本の学校でいえば学園祭のようなものですね。
子ザル君たちは学校が販売した学年別お揃い色のTシャツで、学校の音楽の時間に練習してきた歌を披露しました。

歌を披露したのちは、この1年子供たちと一緒にすごしてきた先生がたへ感謝の言葉と共に花束が贈呈されていきます。


学校の先生が大好きというのはとってもいいことですね。
さて、歌を披露した後はみんな学校が販売するチケットを購入して、学校のもうけた様々なブースへと散っていきます。お昼ご飯も、『トウモロコシ1ドル、ピザ・ベークドチキン、ホットドック2ドル』などといった形で販売されています。それらのブースは一応学校が用意しているものですが、両親にはあらかじめお手紙が来ていて、最低1時間はこのブースの設置や販売等のボランティアをすることとなっています。


もうひとつ面白かったのは、子供が美術の時間に作った作品がサイレントオークションにかけられたということです。(子ザル君たちの作品は手の作品です。)


さて、私がこのお祭りで一番気になったことといえば、実はケーキ販売のブースでした。実は前もって、ブースでの1時間ボランティアの他に、手作りケーキやクッキーなどを持ってきてくださいとの依頼があったのですが、私はこれがまさか販売されるとしらず。おまけについつい日本人の感覚でとても小ぶりなマフィンや小さく切ったチーズケーキをもっていったことから、これらケーキはブース開店のころからずっと販売されており、他の商品がどんどん売れて別の商品に入れ替えられていく中最後の最後まで売れ残っているというみじめさ。食べてみたらばけして味にひけはとらないはず(?)なのですが、掌に余るほどの大きさのマフィンに、私が苦手なたくさんのあまいアイシングデコレーションを施されたかわいらしいお菓子たちに比べればかなり見劣りしているのは間違いない事実。結局様々な選択肢が消えていった頃にようやく少しずつ買う人がでてきて…それでも一番最後まで残っていました。
お祭りも終了してブースが片付き、トレーを引き取りに行ったらば、販売ブースでずっと販売担当だったひとに(たぶん私が気にしてちらちらとみていることを知っていたのでしょう)「買って食べた人は『すごーいおいしい!!!』といっていましたよ。」とのなぐさめの言葉をいただきました。。

子ザル君はこのおまつり、ブースでのいろいろはさることながら、芝生に設置されたミニサッカー場(これは無料)で友達と走り回ってずっとサッカー三昧でとっても楽しかったようですが、私は前日から3種類のケーキを焼いた上、朝からブースの設置のボランティア、さらには売れ残るケーキの心配とで、なんだかとっても疲れてしまいました(笑)。

これらの収益金はいつもであればNPOである学校の運転資金となるのですけれど、今年は焼けた納屋の再築に充てられることになっています。去年はお祭りの時期を日本で過ごしたのでこのお祭りが納屋の運転資金調達のためにさらに拡大バージョンとなっていたのか、もしくは毎年おんなじことをやってるのかはよくわかりませんでしたが、先生も生徒も生徒の親たちも一丸となったこのお祭り、かなりの資金が調達できたようで、これも非常にアメリカ的なことだなあと思ったのでした。
アメリカお風呂事情
その上バスタブの中で洗剤を使わないといけないので、体をかなり洗いにくいこと。その上お風呂がとっても浅いこと。。
なぜお湯が出続けないかというと、ウオーターヒーターという機械があって、そのヒーターのタンクが常に暖かいお湯をためておくのだけど、そのタンク容量を超えると、さらに沸かしなおすまでに時間がかかって、水になってしまうということなのです。日本のお風呂とおんなじように、いつでも燃焼、際限なくお湯を出す機械がついている家もあるみたいですが、あいにく我が家はそれではなかったということ。
こういうお風呂の場合何が問題かというと、再燃焼もできないから、冬とかのお風呂はかなり寒い。アメリカは基本的にお風呂にはいるというより、シャワーがメインの家も多くて、お湯を再びわかさないといけないなんて観念もないし、おまけに石鹸を風呂の中で使う(=汚くなる)のでひとりにつき一人でお湯を使うという気持で考えられているので、お風呂の水が冷えて、次にお湯を使う人が寒いとかあまり関係がない。基本的にお風呂は必需品ではない家庭も多くて、シャワーしか使わない人もいるくらいの場所だから、お風呂でのお湯の使い方とかお風呂への概念はあまり発展しなかったのではないかという気分がします。
引っ越してきてから数年後、あまりに私が寒い、お湯がすぐに足りなくなるとぶつぶつぶつぶつと文句をいったことから、我が家のウオーターヒーターのタンクは2倍の大きさに買い替えられ、最近では最初に熱すぎるくらいのお湯をいれれば、家族二人分くらいは賄えるくらいの熱さのお湯を一気に使っても大丈夫になって、お風呂にあまり文句をいうこともなくなりました。しかしながら、たまに日本の実家に戻り、久々体を風呂の外で洗って、深いお風呂にのびのびとゆっくりつかると「あ~いい気持だなあ~」と思う気分はやはりなににも代えられず。日本の実家を離れる日の前日の風呂とはなんとも別れがたい気分にまでなるのでした。
そういう数年をすごしてきたわが家ですが、旦那が「この家の浅い風呂は大嫌いだ。リラックスして風呂につかることもままならない」といって、深い風呂を検討し始めました。そうしてみて初めてわかったことは、日本へいって深い風呂に浸かってきた人々に日本の風呂がかなりの影響を与えているようだということ。つまり、風呂を探しだしてみれば『日本式のあの深い風呂にゆっくりつかることのできるバスタブ!』といううたい文句でかなり日本式風呂が売り出されているということなのです。
我が家はお風呂場が狭いので、深い風呂の条件をクリアしたとしても、お風呂の長辺が長すぎるとお風呂場の中におさまりません。なのでかなりの長い間、旦那はコンピューターとにらめっこ、あちこちのサイトをさがしまくりました。探すこと数週間。やっと我が家の小さな空間にも(といっても風呂場のドアをいったん外さなければならないのですが)なんとか収まる深いお風呂を見つけることができました。昨日到着!!さて、いまからの風呂場工事がどれだけスムーズにいきますやら。。とりあえずこの深い風呂にのびのびと足を延ばして入ることができるのはまだ少し先のことになりそうです。

こんな習い事
それで日本でも反対に、きちんとスケートボードができる公園をつくって対策するべきではないか?といった話もあったかのように記憶しています。

こちらでも、スケートボード専用の公園がいくつかあって、町の道路際で練習したり、乗ったりしている人々もみかけますが、今回いってみたらば、実に子供から大人までたくさんの人々がその場所で楽しんでいるようでした。で、今回スケートボードド素人の子ザル君は、まずはどうやって乗るかから教えてもらうことになったのですが、約1か月のコースの中で、初日と最終日に一番時間をかけたのは、「スケートボードパークでのマナー」についての話でした。スケートボードパークではともすれば大きな事故につながることもあるので、まずは場所の名前などを憶えること、スケートボードが足からはずれてしまったら大きな声で「ボード!」と叫んで他の人に気付いてもらうこと、場所の名前が頭に入ったら、自分がそこに向かうということを大きな声で別な人々に伝えること、などなどきっちりマナーの話がありました。

ポケットだとかクオーターパイプ(だったかしらん?)などといった数々の名前があるので、これを覚えるのだけでもなかなか難しそうなうえ、まずはボードの上にふつうにバランスすることだけでも難しいので、一度にはきっとできないのでしょうけれど、それでも安全上これはとても大切だからね!というお話でした。
日本でも、スケートボードパークがあるような場所では、こんなプログラムはとっても大切ですね。
冬が早くやってくるこちらでは、スケートボードもそろそろシーズンが終了。プログラムも先日終了しました。
で、そろそろ屋内でできるプログラムに切り替わってくる頃ですが、先週から子ザル君はアーチェリーをスタートしました。かつて和弓をやっていた私としては、かなり興味深く見守ったのですが、これももちろんマナー、安全面の話からはいります。日本の弓と違って、西洋の弓は機械的で、こどもでも簡単に引けるようにできている様子です。一番の違いは、弓道は美しくひくこと、侍スピリット、神仏へ近づく。。。などいったどちらかというと弓を射ることは結果であり、精神鍛錬のイメージが強いスポーツである一方、アーチェリーは、ゲームハンティングが一般的なモンタナだからなのか、練習する的自体がシカやクマやムースなどの大型動物の模型だったりして、アーチェリー=本当に何かを仕留めるための道具といったイメージがあるようだということです。訪れた練習場では、練習の結果でかなりたくさんの穴が開いた状態の模型たちが部屋のあちこちに立っていて、室内に入った時は少し気後れしてしまうほどでした。

練習が始まってしまうと、ただただ、なんか、かっこいいイメージもあるし、初日だというのにいきなり弓を引かせてもらって矢も射ることもさせてもらって、だんだんみんな興奮してくるので、最初の凄惨な?デコイへの思いは吹っ飛んでいってしまったようでしたが。。

さて、このアーチェリーのクラスも約1か月で終了します。
日本のように、一度始めようと思うとちょっといろんな準備(申し込み書とか、入学金とか?)が必要な習い事ばかりでなく、このお気軽体験の中で自分がホントに好きなものを見つけていけるところがある意味よいところかなと思います。
つい先日お友達家族もやってきて、約1か月(週1回だから3-4回ほど参加)だけだったけど、市のプログラムだけでなく、プライベート施設のプログラムもいくつか参加しました。こういう短期でも、気軽に引き受けてくれる柔軟性は、こちらのほうが一段と上だなといつも感じます。短期でもその時そこにいる人が、長期で住む人と平等に同じプログラムを享受できる仕組みがあることはとても大切だなと、アメリカや日本を行き来していると特に思うのでした。
こんな交流
北極からの風がモンタナまでやってきて、厳しい天気が続いています。現在外気温マイナス4度F。これを書くといつも、さて、摂氏は何度なんだろうと思います。まだ全然ぴんと来ない数字です。ま、摂氏でマイナス4度でも十分寒いんですけど(調べてみたらば、マイナス20度だそうです…)。実はこの天気予報は、先週から予報されていて、まだ暖かい天気だった頃にその天気予報をキャッチした旦那からながーいメールが送られてきました。読んだらかなり心配になるような内容が書かれていました。たとえば、こちらはガスでのセントラルヒーティングシステムがふつうで、屋内は通常どんなに外がさむくてもそれなりに暖かなのですけど、そのセントラルヒーティングシステムががんばりすぎて火事になるかもしれないから、万が一逃げ出さないといけない時には子ザルが別の部屋で寝ていないほうがいいので、一緒の部屋に寝る方がよいとか、ひょっとしたら車のエンジンがスタートしないかもしれないので、学校の近くにホテルを取った方が無難かもしれないとか、万が一出先で車がスタートしなかったことを考えて車の中には寝袋や余分の衣類を入れておくべきだとか。そのほか、ドアの隙間や窓の隙間を防ぐようなできるだけの対策をするようにとのいろいろ指示があり、、、それで先週はそのための対策に大わらわに走り回って頑張ってみたのでした。そのメールはかなり大げさにもとれますが、最高気温がマイナス1度Fの世界を経験したことがないので、それはそれなりに深刻に受け止めて動いたのでしたが、そのおかげなのかどうなのか、幸い今のところ家の中はそれなりに暖かで、でもヒーターが火をふくほどなことにならずなんとかなっています。幸い車のエンジンもスタートし、途中でとまることもなく、今のところなんとかなっています。前回12月もこんなに寒い天気があったのですけれど、その時に比べて気温はさらに低いのですが、幸い道路が暖かで道に雪が全くないところにこの天気がきたために、道路が凍っておらず、運転もあまり支障がありません。前回12月は雪が道路に残ってそこにこの寒さがきたので、全部アイスバーンの道路はかなり危険でした。
さて、こんな天気もモンタナならではなのですが、今日はその寒いところに太陽が昇ってきて、ほんとに美しい景色でした。(写真はなくて残念)で、そんな天気の中、最近なるべくいくようにしているスイミングに子ザル君を学校でおろしたあと、髪が濡れると寒いなあなどとは思ったけれども、ちょっと頑張っていきました。実は毎日この時間にはこのような人が来るといった、大体のメンバーが決まっていて、お年寄りの多い時間帯です。いつも感心するくらい毎日同じ顔ぶれの80代のおばあちゃんが「あなたどう?」「まだ生きてるわ、幸い」なんて会話を交わしながらお互いの健康を確認していたりしています。私は行くたびにその人々の顔と会話をちらちら聞きながらも、話の中に加わったりすることはなく過ごしてきたのですけれど、つい先日「あなた名前はなんていうの? 大体毎日のように会うんだから名前ぐらいは交わしましょうよ」といわれました。実際こちらではほんとにいつでもどこでも、全然知らない人にふつうに話かけられることが多くて、日本に戻るとどうしてこんなにみんなお互いにあいさつをしないんだろうと思うくらいです。毎日知らない人だって、こちらのように挨拶くらい交わすような社会になれば、今日は一日だれとも口を利かなかった。。なんてさみしい日がなくなるのになと思うのですけど…。さて、そんな風にだんだん私が、スイミングの場所で常連さんの一人に認識されつつあるのだなと思うようになってきたこの頃ですが、きょうこの寒さの中で再び訪れたこのプールで泳ぎ終わったあと、また、大体この時間に一緒になる、まだ名前を交わしたことのないおばあさんと目があいました。いつもはお互いにっこりしあうくらいで話をしたことはなかったのですが、おばあさんは珍しく「寒いわねえ。」と話かけてきました。それで私は「実は旦那が今出かけていていないのだけど、心配してこんな内容の長いメールを書いてきて、先週はいろいろ走り回って準備して大変だったのです」といったような話をしました。するとおばあさんは、なるほどご主人の心配ももっともだという顔をして、すごくまじめな顔で、「あなたはどこにすんでいるのか?私の名前は●●というのだけど、電話番号を渡すから、万が一家が寒すぎるとか、トラブルがあったら助けに行ってあげるので連絡しなさい」というのです。正直このおばあさんとはその時はじめて名前を交わした状態で、電話番号をもらっても多分万が一なんかあったとしても、この人の手をわずらわすことにはならないだろうと思われるのですが、住所をきいたこのおばあさんは「私の家はそんなにあなたのところから離れているわけじゃないから、もしなんかあったら駆けつけられる距離にあるから」というのです。でも「多分昨晩のものすごい寒さでも火事もなく、家もそれなりに暖かくすごせたので、多分電話番号をお聞きしなくても大丈夫だと思います」といったのですが、おばあさんはさらに「それなら今教えないけど、もしほんとにそんなことにでもなったら、スイミングセンターに電話すれば私の電話番号を知ってるから、万が一のときはセンターに電話して、うちに知らせてきなさい」というのです。
私はこのおばあさんの提案に驚きつつも、何て親切な人なんだろう…とものすごく感心して、ほっこりした気分になったのです。日本では隣人とでも挨拶をせず、他人が何をしていようが感心がないような空気がどんどん増えているのに、このおばあさんはただ最近毎朝見かけるだけの私に、本気で手助けするつもりでいるのです。(おべんちゃらで、そんなこといってもあなたきっとかけてこないだろうから…と思っているわけではないのです)。最近子ザル君が学校に行くようになり、私も外に出る機会が増えて、いろんな人と話をする機会が増えてきたのですが、西部の田舎町だからなのか、ほんとにこの町は親切で優しい人が多い場所だなあと思うこのごろです。
こちらは奉仕の精神が日本に比べて発達していて、いろんなボランティアがふつうに成立している社会なのですけど(これは宗教と関係しているのかもですが)、日本でもこんな風に何か大地震とか津浪とか特別なことがなくても、毎日のようにだれかが誰かを気遣い、気に掛ける社会であるといいなあと思ったのでした。
こどももゴルフ
え?ゴルフレッスンですか?…というのが日本の人の感覚ではないかと思いますが。。
というのも 『ゴルフ=値段の高いスポーツ=金持ちのスポーツ、もしくはサラリーマンの接待』などといったイメージしかなく、私もかつてゴルフを接待でせねばならぬ父とともに、うちっぱなしにはいったことがあるのですが、これがけして楽しくなかった記憶しかなかったので、5歳のこんな年からゴルフですか…と思いつつも出かけていったのですが。

実はこのゴルフ場、雪がなくなるころから(一応設定は5月から)雪が降り出す前(9月)までの期間、4歳から6歳までの小さな子供たちもふくめてゴルフレッスンを行っています。
子ザル君はその最後の9月1か月のみを登録したのですが、行ってみたらば、その時間はあたり一面こどもがいっぱい。基本的にレッスンといっても姿勢をきっちり教えるというより、ゴルフの用語やマナー等を教えることがメインで、たとえば人が打っている範囲内には近寄らないなどといった安全面を中心に教えています。初日から子ザル君はパターを握って、短くボールを打つ練習をしていました。

2回目はすでにTをつかってのドライバー練習…。あんな握り方と振り方ではけっしてあたらないであろう…と思うのですが、先生はあんまり細かなことは指摘しません。先週はバンカーショットをやっていました。バンカーからボールを出すことは誰ひとりできませんでしたけれども…。それでも子供たちはとても楽しんでいるようで、初めてゴルフをやる子供はそんなレッスンで十分なのかもしれないなあとおもって眺めているのでした。そんなレッスンのわきでは、子供をつれた家族がふつうに一緒にラウンドしています。子ザル君の友達も、去年からもうすでになんどかお父さんやそのお友達家族と一緒にラウンドしているそうです。ゴルフ場に行くだけでかなり値段が高く、その上にラウンドするとなればかなりの金額がいるであろうと…というのも行ったことないのでしらないのですけど…予想される日本のゴルフではあまり考えられないゴルフのイメージの気軽さに、なんだかすごくゴルフの価値観の違いをみたようなおもいでありました。
日本はなんでもこういうことに対してハードルが高く、それだからこそなかなか値段も下がらないんではなかろうか…という気がするのでした。

ゴルフレッスンの芝の上にはかわいい子供用のゴルフのバッグが…。と思って写真を撮影したらば、なんとこれはレッスン上の道具ではなくて、すでにゴルフを去年からスタートしていた、お友達個人のもちものでありました。。
星条旗の御旗のもとに!!
独立記念日というのは家族がよってバーベキューをしたりして家族の愛情を深める日でもあるようなのですが。私は子ザル君がサマースクールでパレードがあるといったときもなんでパレードなのかとピンとこないくらい独立記念日は頭にありませんでした。もう少しで独立記念日に子ザル君を学校に連れていってしまうところでした。
そのパレードでは星条旗をつくって、星の飾りのついた冠のようなものをつくってそれをかぶって行進しながら歌をうたったそうなのですが、どんな歌か忘れたとの話。。

さて毎年独立記念日では花火を揚げるのがこちらの習わしのようで、数日前からFireworksと看板を掲げた店がそこいらに出展しています。各家が夜中までパンパンと花火を揚げています。
毎年ボーズマンではいつもお祭りなどの行われる大きな広場で打ち上げ花火を盛大に打ち上げます。私も数度見に行ったことがあったのですが、今年は子ザル君とふたりきりだし。遅くだからどうしようかと思いましたが、子ザル君が花火をどうしても見たいというので、時間を調べてでかけました。
ところがいっつも混雑しているこの広場、やたら人が少ないなあと思ってプログラムを見てみたらば、なんと花火は10時半から。その前にシンフォニーコンサートがあるのですが、それも9時から。いえ、新聞をみてやってきたのですけど。7時からライオンズクラブの次年度資金調達のためのBBQがあるとは書いてあり…。あれ、どうやったら8時からコンサートと勘違いしたのでしょう。とりあえず1時間待つはめになったのでした。でも実際その時間でも結構それなりに人はいたので、よほどみんな場所取りのために早くやってくるのだということが、今回間違えたためにわかったのでしたが。。

さて、1時間なんてとっても長い!!と思っていたコンサート開始でしたが、以外にいろんな人がやってきてはまわりでごちゃごちゃしゃべっているのを聞いたり、応えたり、暑い日がつづいていたので、涼風がここちよいなあなどと思ってみたりしている間にだんだんに時は過ぎて、意外にそこまで苦もなく待つことができたのでした。
さて、コンサートの開始と共に外はそろそろ夕暮れてきてほんとになかなか良い感じです。

スタートはいつものごとく全員起立。胸に手をおいて星条旗を見上げつつ星条旗よ永遠なれを演奏します。
アメリカではほんっとにいっつもこれがスタートです。アメリカンフットボールの試合開始の前もこれです。私が日本人だからなのでしょうか??ものすごーくこれには違和感があって仕方がないのですけど…。
とりあえず会場の雰囲気は悪くありません、音楽はブロードウエイの音楽だったりジャズだったり、後ろの年輩の方々はハイスクールの頃に引き戻された気持ちだったと、終わりごろに若々しい笑顔になって語っておられました。私もアメリカ人だったらすべて気持ちよく参加できたのでありましょうか。
とりあえず途中でみんながまたまた起立してうたったのは
God Bless America! です。ここで子ザル君が「あ、これだ、この曲学校で習ったの。知ってる歌だ!」といったのでした。いい歌です。意気を高揚させ、アメリカって素敵な国だ!いい国だ!と思うような、愛国心をそそる歌です。
でもその曲を聴きながら、「独立宣言つったって、ネイティブアメリカンのこと完全に無視して、勝手に自分の国っていっただけやないの」とか、「こうやって洗脳するんだ。アメリカって国は世界一いい国だって、素晴らしい国だって、旗を掲げて洗脳していくんだ…」とか「歌って恐ろしい。。アメリカは旗と歌で人をまとめていくんだ…」とか。。。正直、こういう愛国的な歌になった途端にそういう気分に陥ったのはやはり私がアメリカに住んでいようと、けしてアメリカンではないからなのでしょうねえ。。(では子ザル君はどうなるのだろうか?というのは疑問でありますが。。)
夫曰く、「アメリカというのは一つの人種でもないし、あちこちからの集まりの国だから、故郷がない人々をまとめるために旗を使ったのだ」とのこと。

ほんと、このアメリカの国旗の威力はすごいのです。日本ではある筋の人しか日本国旗は掲げていませんが、こちらでは共和党も民主党もなく、だれでも国旗を敬愛している様子なのです。
最後は幸いウエストサイドストーリの音楽で終わってくれましたが、途中のいくつかの部分は、一緒に音楽の美しさ、旗の美しさ、変わりゆく景色の美しさすべてに感動しつつも、頭の片隅は一つになれない自分があって、なんだか遠い異国にいることを味わった時間でもあったのでした。



最後の打ち上げ花火はほんと美しく…でも最後まで見ていると渋滞の長い列に巻き込まれるからと、一足先にその場をさったのでした。
韓国という国
実はなんでかしらないけど、大韓航空については、へんな不安をもっていた。で、あまり乗りたくない飛行機会社のひとつだった。(昔落ちたことがあったのだろうか?そういう印象が強かった。)
ところがところが。サービスの良さにかなりびっくりした。
子ザル君は飛行機にカーシートとしてもつかっているチャイルドシート(飛行機兼用版)を常に持ち歩いて飛行機にのっているのだけど、関空でチェックインした際、『搭乗時間より30分前にきていただけたら、ビジネスのお客様より優先的にご搭乗いただきます。なお、スタッフが先にシートの設置をさせていただきます』とのことと。いえ、慣れてるから別にいいですよといったけれど、「いえいえ、こちらでさせていただきます」との話。チェックインはスムーズにおわって、別段やることもないのだから、搭乗口にさっさといってまっていたらば、ほんとに一番乗りで搭乗させてくれた。シートは向こうが設置してくれたので、いつも狭いエコノミーの通路を一生懸命他の荷物と一緒にもちあげながらいくのにそれも不要。
さらに、今回乗り換えがとてもタイトで1時間しかなかったので、それをいうと、すぐにビジネスにすごく近いところに席をうつしてくれたうえ、客室乗務員にもそれはつたわっていて、おりるときにすぐに席まできてくれて、取り外したシートどころか、手荷物までもってすぐに降りられるようにと手伝ってくれた。
韓国インチョンまではたった1時間30程度のフライトなのに、通常飲み物サービス程度で終わるこの短い時間のあいだにけっこうおいしいサンドイッチのサービス。おまけにお味噌汁もコーヒーなどと共にやってきて、お味噌汁好きの子ザル君はとってもよろこんでのみほしていた。

おまけに子供だからと、韓国航空の飛行機のぬいぐるみキーホルダーのプレゼントつき。
サービスする人は私が韓国人かどうかわからず、韓国語で話かけられ、なんと応対してよいかすらわからず、そんな顔をすると、がんばって日本語で応対してくれていたけれど、そんな外国人対応がなんだか新鮮でもあった(最近英語で話しかけられる以外なかったから)。
こういうサービスは今はどうかしらないけど、かつてのJALの国内線サービスが思い出された。国際線として使ったことがないから知らないけれど、北海道とかへ行く際に、たいして長い距離じゃないのに、キャンディーサービス、おもちゃサービス、食事サービスとなかなかその頃はサービスがよかった。それが売りでもあったのだろうけれど。
さて、ハワイからソルトレイクシティ-へいったのだけど、その機内のサービスもなかなかだった。
食事は、子供にはキッズミールを選択できると電話をした際にきいたので、じゃあなにが選択できるのかと尋ねると、とんかつにオムライス、ハンバーガーなどなど。。なかなか気が利いている。アメリカの会社だと、子供になるとなんだか少量になって、フライドポテトとかマカロニチーズとか、かえって栄養バランスが悪くなりまずくなるようなものがでてくるのが常なのだけど。それで、いちおう子ザル君にはとんかつとオムライスを頼んでおいた。
味のほどはまあそれなりな様子だったけど、大人のメニュー以上にボリュームのあるものが登場していた。
で、私のメニューというと2種類のなかから、せっかくだからコリアンエアらしく韓国フードをお願いしたらビビンバがでてきた。韓国らしく2種類のキムチも。

でもこのビビンバ、これがなかなかヘルシーで、にんにくの強い匂いが機内に漂うことを除けば、日本人としてはうれしい野菜中心食で、おいしかった。写真は見た目いまいちかもだけど。。
子ザル君はとんかつをそれなりに食べたうえ、私のビビンバ丼も試してみて、さらにたべ、一緒についていたワカメスープもおいしいおいしいと全部のんでしまった 。
さらにほしいかどうかは別にして、ぬいぐるみのおもちゃのサービスもあり。
2回目の食事がオムライスだったのだけど、眠いときにでてきたので、まったく食さず(なのでコメントは省略)。
韓国という国は、もともと日本へ渡来人としてやってきて日本人のルーツのひとつでもあるのだから、私たちの根っこはどこかでつながっているなず。それをかんがえればなんだかサービスのありかたの丁寧さが似ていることとか、野菜中心主義であることとか、なんだかそういうほっとするのは共通点があるからなのかもしれないなあとおもったりもして。デルタはやはり私たちアジア人のサービスとは違った体系を持っているような。(いえ、文化だけで片付けてはいけないこともきっとあるのだろうけど)
今回、北朝鮮の問題のせいなのか??タイトな乗り換えの割にはやたらと厳しいセキュリティにいらいらとさせられたけど、それを除けばなかなかな経験だったなあとおもった。
子ザル君は今のところよく変わりつつもまだパイロット志望でもあるのだけど、先日までデルタしか知らなかった彼はデルタのパイロットといってたけど、今はコリアンエアに変わっている(笑)。

アメリカ人のテーブルマナー
…というのも、結婚してから数年たつ夫と、食事の席につくと、いろんな作法が目についてしょうがないことがあり、最初はいちいち気になってちょっと言ってみたりしていたけど、彼からはそんなことは聞いたことがないと一蹴される始末。それで言っていらつくのであれば見ぬがよいとのことになり、あまり見ないようにしている。
「聞いたことがない」ということのひとつが「三角たべ」。
夫は皿の上にのっているものがたとえば5種類あるとすれば、そのうちの1種類を完全にたべてしまっていくような食べ方をする。隣にごはん茶碗があってもそれはおなじ。こちらがおかずとおもって出したものでも、先に食べてしまってごはんのみが残るようなことも。
それをみるとなんとも気持ち悪く、「小学校の給食の時間でも栄養のバランスを考えて、少しずつバランスよくとって食べることを教えるものだ」というと、自分が日本にいたときにそんなことをいった人はなかったとか。それを友人にいうと、私もそのように教わったというのが大半なので、私の記憶違いではけしてないのだけど。。
挙げればきりがないので、他のものは割愛することにして、もうひとつが、テーブルの上に左手を出さないという事実。結婚してちょっとのころ、これも気になっていったらば『アメリカではそれは無礼ということになっている。むしろ左手をテーブルに出すのはよくないといわれてきた記憶がある』との話。息子が生まれて
時々気になるマナーを指摘している私としては、私の指摘が夫のマナーと違うのは気になるところで、昨日この話を(夫はかつてこの話をしたことを覚えてはいなかったようだけど)蒸し返すことになった。
そこで夫が私に「日本で両手を机の上にだすようにというのはヨーロッパ式だろう」というので、イギリスなどヨーロッパでは机の下に手をおくと、短刀などを隠しているかもしれないと疑われたというところから、両手を机の上にだすようになったとの話を聞いているが、日本もそれは同じ考え方で、日本でも盆の上に両手は見せておくのだ、ヨーロッパから伝わったマナーではない。(それに日本は汁椀や茶碗を持つときにかならず両手を添えるというマナーがあるのだし…)という話をした。
そこで夫は少し考えてインターネットで調査したところ、やはりアメリカでは左手は机にはおかないのがマナーで、両手を上に置くのはヨーロッパ式だと述べた。
そこで夫に「ヨーロッパが両手で、アジアが両手ということは(中国や韓国やインドなどの両手マナーについてはしらないけれど。。)アメリカだけが片手のアメリカン式ということじゃないのか?全世界的に両手マナーならば、片手式は勝手なアメリカンスタイルだ!という思いに至った。
そこでさらに思ったのは、アメリカという国自身移民の国で、みんなヨーロッパからの人々なのに、いったいどうして両手式が片手式に変わったのか?という疑問。
そこで祖国で迫害されたヨーロッパ人たちが自由を手に入れて、祖国に宣戦布告した際に、反意を示すためにわざと逆にしたのではないかという仮定。
実はこれを調べてみるためと、世界のテーブルマナー片手両手地図をみるために、インターネットが登場したのだけど(時間をかなり割いての調査じゃないけど)それをきちんと説明するものはなかった。
でも片手式がアメリカだけなんだったら、ほんとすごく不思議なことで、ぜったい食事の文化研究者などがなんらかの歴史的背景を調べていておかしくないはず!!…と思うけどよくわからない。。
だれか本とかでよんだことありませんか~??
そうじきのはなし
今日本に戻ってきています。その際スーツケースの中にいれたものは、日本から買って持って行った掃除機のフィルター。
なぜかというと、日本から持って行った掃除機がつい最近突然いやなゴム臭いにおいとともに、黒煙をはきだし、火事になるかと思って大慌てでストップ。機械がものすごく熱くなっていて、やばい状態。
しばらく冷やしたあとに、再度コンセントを差し込んだら、なんとそれだけでなんとなく熱くなり…。
結局のところ、お亡くなりになったのでした。
実は日本から引っ越して初めてアメリカの掃除機を見たときいったいどうやって使ったらよいのかわからないほど、日本の掃除機とは形の違う代物でした。
日本は家が狭く小さいために、コンセントもスイッチポンでぐるぐると巻きこむシステムになってるし、隅から隅まで掃除できるように、筒の先っぽは外すのが簡単にできてるし、隅々まで動きやすいように、キヤニスターは小型で軽く、少しひっぱったら従順な子犬のように後をついて動いてくれるようにできてるし。。
でもアメリカの掃除機は違います。
まず、形は縦型が主流。収納スペースに困らないせいか、コードも広い家を掃除するために超長い割には(いえ、長くて丈夫なのが原因かも)、巻き込むようなタイプのものはほとんどありません。掃除機自体が持ち運ぶのが大変なくらい重たくかつ、筒先も日本のように先っぽを付け替えてあちこち掃除するような付属品もあまりなく…。隅っこには届かず、コーナーを掃除してもホコリがのこり人をいらっとさせる、あのT字型の筒先自体非常に重く、カーペットを掃除する際ホコリをただきだすために筒先で回転するロールはなかなか強力なのですが、たまにまちがってうすいマットなど掃除しようものなら、そのロールの中にマットが巻き込まれていってボロボロになってしまったりもするのであります。私はカメラバッグのベルトを間違って巻き込んでしまって、ベルトが切れてしまったという経験ももっております。
私はこの掃除機がひじょーに嫌いで、日本からもっていった緑色の従順な小型掃除機をずっと愛用していました。しかしながら、日本とアメリカの電圧というものは違うので、この従順な掃除機はきっと無理に無理を重ねてしまったのでしょう。
ついにお陀仏。。
子ザル君はかわいそうに…といって、色紙をきりとって小鳥と花を作り、セロテープで掃除機の上にくっつけ、コップにお水をいれて掃除機のそばにおきました。掃除機のお墓参りだとか(笑)
残念ながらその写真、撮り忘れてしまったのですけど。。
その後、我が家にある縦型の掃除機はあまり従順ではないので、できれば従順な掃除機を購入したいと、いろいろアマゾンなどで検索。パナソニックの掃除機を見つけました。アメリカの製品とは言え、なんといってもパナソニックです。日本が原点です。きっといろんな機能は日本のものに近いに決まっています。
そうおもって、ちょっとサイズは大きいようだと思ったけど、以前日本で使っていたのと同じようなフィルター式で、筒先を交換しつつ使えそうな、後ろからついてくるタイプの掃除機を購入してみました。
ところが!!!!
なんて大きくかつ、重いのでありましょうか!! 私の力で引っ張っても、後ろから従順についてくるような代物ではありません。おまけに大きいので、アメリカに居住していても大きい家ではない我が家のあらゆる家具にぶつかり、ソファーと壁との隙間をすり抜けてくれることもできません。しかたないので持ち上げて運ぼうと思うと、その重さたるや。さらに、日本の掃除機のように交換式の先っぽがいろいろ付属でついてるのはいいのですが、その筒はアルミかなにかの重い金属でつくられ、穴と丸い突起物でつながっているその筒を抜くのには、その丸い突起物をまずは押し下げて筒をひねり引っこ抜くという作業が必要なのです。(強力なパイプ棚などを作るときにはこんな突起物式のコネクターがついてます。。意味わかるでしょうか?)
とりあえずその丸い突起物を押し下げるだけでもかなり面倒です。ちからもいるし、いちいちこんなこと、毎日の掃除でやれません。おまけになんで金属なのでしょう?重たくてしかたがない!!パナソニックはパナソニックですが、やっぱりアメリカパナソニックでした!
そこでいろいろ結局考えた結果。これもアメリカ製ではあるのにも関わらず、かなり掃除機についていろいろ研究した人がつくった…もしくは、掃除機を少なくとも毎日のようにつかったことがあり、狭いおうちで苦労したことのある人?(ではないかもしれないけど…)、ダイソンさんの掃除機を購入することになったのでした。ダイソンといってもいろいろあるけれど、充電式の一番軽量なやつです。犬ころみたいに従順についてくるようなタイプじゃないけど、手元でさささと動いてくれてとっても機能的です。ほんとは日本の掃除機が一番好きだけど、また煙を吹かれたら困るしね。。。
後ほどアメリカ人で、ヨーロッパに住んだことのある友人に掃除機の話をしたところ、ヨーロッパでも日本と同じように、縦型掃除機はほとんど見ないそうです。掃除機ひとつでもお国柄がありますね。。
縦型掃除機の意味がわからない人のために、できれば写真をアップしたいのですが残念ながら今手元にないのであしからず。。(覚えていたら後ほどアップします!)
スイミングレッスン
帰国するたびに復活しては数か月行かせているこのスイミング、子ザル君はとても緊張して、最初はいつもないてしまう。これもなんだか日本の体育会的な空気のナセルワザのようだ。
まず最初にぴっちり「気を付け、礼、おねがいします!」の武道教室ような空気で始まる体操。これがアメリカのカジュアルな空気に慣れている彼にはびりびり来るらしい。
先月も1回めには先生に怒られるわけでもないけど、これがつらくて涙を流していた。。
2回目からは少し空気にもならて、ちょっとおっかなびっくりではありつつも泣かなかったけど。。
ここのスイミング教室では、帽子にレベルが刻まれていて最初の頃はレベルゼロ。級があがると赤いおさかなのラベルをもらい縫い付け、、次が青い魚、緑の魚とあがっていく。
子ザル君は赤魚に進級したのちお友達と別れてアメリカに戻ってきたので、赤魚からの再スタート。
11月はずっと赤魚さんだった。
春に同じ赤魚さんだったお友達はこの数か月の間に進級して、すでに緑魚さんになっていた。
みるともう15m横幅のプールを実にきれいなフォームで泳ぎきっている。。
同じ期間を子ザル君もアメリカのスイミングレッスンにいったのに、この歴然たる差はなんなのだ!
子ザル君の年齢で赤魚さんにのこっている子はほとんどいない。
赤魚は「伏し浮きができること」というレベル。バタ足ももちろん手を掻くような作業も全くさせてはくれない。
ただにただに、体を浮かせる。顔を腕よりもさらに深くしずめ、足がきちんと水面にうかぶようにする。。ただそれだけの練習。
毎週見に行くたびに、子ザル君はもうそれくらいはできているようだと親の目には見えて、せめて青魚さんに早く上がってもらいたいとやきもき。。。。。
1か月をすぎ、これが最後のクラスという日についに青魚のラベルをもらってきたときは、ここまでうれしいか!!というほどに、涙がでるほどうれしかった。子ザル君もぐぐぐぐっとこの進級にプライドをもって、すごくうれしかった様子だった。

ぼうしにラベルをつけてもらった夜は、うれしくって風呂上りにもその帽子をかぶり、スイミングの型を再び絨毯上で練習するほど。。

12月にこちらにもどってきてから、スイミングは続けさせようと、アメリカのスイミングレッスンへ。
なんといった初日から突然バタ足、クロールの手を練習させられることに。
せっかく伏し浮き1か月でものすごくきれいに浮いていたからだも、無理に腕を回そうとしたりバタ足することですっかり頭を水面深くに静めることも忘れ去られ、足がどんどこ沈んで頭が浮いてくる。
それでも日本でじっくりじっくりやったことの成果で、体がまっすぐに伸びていて、足が少しくらい沈んでいてもバタ足すればあっというまにほかのこどもを追い越して早く向こう岸に到着しているのはさすがだ。
子ザル君自身はプールにいる表情はこっちのほうが断然楽しげ。。。そりゃそうだろう、1か月、ずっと水面に浮かぶこと以外なにもしないのでは楽しくはないよー。。。
さてはてどっちがいいのやら。。
でも子ザル君の隣でもっと年齢が上のお兄ちゃんお姉ちゃんも、けっしてきれいな泳ぎとは言い難く。。
緑魚さんのレベルの4.5歳のこどもがみせた見事なおよぎっぷりには程遠い。。
アメリカではスイミングが好きであって、泳げさえすれば別に少しくらい型が悪かろうが遅かろうが関係ない様子。日本ではスイミングがきれいに早く泳げることを重視して、その代わりに嫌いになる生徒が少しくらいいてもあまり頓着ない様子。我慢、忍耐の好きな日本ならではのような気も。。。
どちらもどちら。。いい面悪い面。。。
ただせめて、青魚さんにせっかくなったのだから、この型を破壊しない程度に楽しくいってもらいたいものだと、こちらでも少しいらいらとした気持ちでレッスンを眺めているのであります。
アメリカでも少しずつ知らぬ間にレベルが上がっていくのですが、こちらは目に見える級わけをしていないのは、そんな競争心をあおらないためなのか?
ほんとにこのスイミングレッスン、双方文化の大きな違いを見せつけられる思いがします。
いつも思うけど、中間がよいなあと再びため息をつくのでした。
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