ところ変われば?!

ビーバーとオオカミのかかわりあい

引き続き、、、国際オオカミシンポジウムから、報告の一つをご紹介します。

今回のテーマは『オオカミとビーバーの関係性』について。
実は国際シンポジウムに行く前に、ミネソタEly という場所にある、国際オオカミセンター(https://www.wolf.org/)というところに立ち寄りました。
その場所で、特別に、世界的にも有名なオオカミキュレーター、ローリーさんにお会いして、展示場からではなく、特別にバックヤードにいれてもらい、オオカミのおりのすぐそば(ローリーさんだけ中にはいっていましたが)でしばらく過ごす時間をいただいたのですが、ここでの細かな話は、また別のお話しとして、、、
その際に、バックヤードでみたのはぎょっとするような凍ったビーバーの死体。
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いままでオオカミというものは、シカ等蹄をもつ、4つ足の動物を主に狩りをして食べると思っていたので、ビーバーを餌として与えているのをしって、野性のオオカミもビーバーをハンティングして食べたりするのだろうか?という疑問がわきました。そこで、ローリーさんに尋ねると、「オオカミは水辺でビーバーが多く生息している場所では、ビーバーを狩って食べます。その詳しい話をしりたければ、オオカミシンポジウムでトムが話ますよ」というお答えをいただきました。
そこで、国際シンポジウムでは、ぜひトムさんのビーバーについてのお話しを聞こうと、心に決めていたのでした。

まず、私が『オオカミがビーバーを狩る』というのをきいて思ったのは、群れで大型動物を倒して食べるオオカミのイメージからはほど遠いということ。
水の中に逃げ込まれたらオオカミが狩るのは難しいだろうということ。大型動物のかわりにビーバーという獲物であれば、かなりたくさん狩りをしないと群れを養うのが難しいのではないかということでした。

シンポジウムのトムさんの話では、「オオカミは水辺の、ビーバ―の生息数の多い地域では、待ち伏せという方法でビーバーを狩っている」ということ。ビーバーは水の中を泳ぐのはとても長けており、いったん水の中に逃げ込んでしまえばオオカミはどうにも太刀打ちできないので、夏の間、ビーバ―が川から上がってきて、川沿いの柳の木等をかじって倒す作業をするところを狙うのだそうです。オオカミといえば、大型の野生動物になるべくこっそり近づいて行って距離を縮め、四方から群れでおいつめていって狩りをするというイメージでしたが、ビーバーがやってくるのをひそかにじっと草の上に伏してまってやってきたら襲うという、どちらかといえば、ネコ科の動物のような根気のいる行動をすることもあるのだなということを知りました。

①冬になると、川は氷が張り、ビーバーが陸上に上がることは少なくなるが、数が多く、陸上では動きの鈍いビーバーは、水辺近くにすむオオカミの夏場の重要な食糧源となっていると考えられるということ。それは糞の分析からも分かっているということ。

②夏場に大型動物は逃げ足も速く捕まえるのには体力を消耗するが、ビーバーを狩ることができる地域に住むオオカミでは、ビーバーを捕食しない場所のオオカミに比べて、子供の数が違うこということから、群れの維持にビーバーからの栄養が役に立っているようだということ。

③夏場にシカではなく、ビーバーを主に捕食することから、シカの個体数が増えることが想定されるけれど、実は夏のビーバーからの栄養のおかげで、オオカミの個体数が反対に増え、シカの個体数は逆に減っているということがわかってきているということ。

④ビーバーはオオカミに自分が狙われていることを知っていて、オオカミのにおいでオオカミを避けようとしているということ、それをさらにオオカミもわかっていて、ビーバーが陸上で行動する約3Mほど風下でビーバーを待ち受けているということがわかってきたということ。約120回のアタックの中で、風下にいたほとんどの場合は、ビーバーの捕食に成功しているようだということ。(失敗はこの中のわずか10回ほどのみ)

⑤大型の動物と違い、ビーバーは獲物としては小型の動物になり、その捕食回数等を知るに必要な骨等の残骸が見つかりづらく、見つける目を持つ人間を養成することがとても大切であり、大変でもあるということ。
等の話がありました。

発表スライドの中には、オオカミが長く長く伏せて待っていたために草が押し倒されて丸く平らになった草の上に、わずかながらに落ちていたビーバーの骨のほんの一部の写真がありました。あんなちょっとの残骸を、くさむらの中から探し出すのはかなり大変だろうということは容易に想像できました。

今、オオカミが1匹一体どれくらいの数のビーバーを食べているのか、ビーバーの個体数はオオカミによる捕食は大きく関係しているのだろうか?
また、オオカミがビーバーを捕食している分、シカの捕食率はそれに比例して少なくなるのだろうか、もしくは変わらないのだろうか? また、シカの生息数に、ビーバーは関係しているのだろうか、していないのだろうか?

そんな事柄をいろいろ明らかにしていこうというこの研究は、少しずつ成果も出始めて、実はビーバーの捕食がシカの個体数の減少につながっているという興味深い結果も出始めてはいるのですが、何せ、残骸がのこりにくいという理由(あごの骨のかけら1つといったようなものでしかない)で、オオカミが待ち受けていた草の倒れている場所をまずは探し出し、その場所に小さなビーバーの骨が落ちてはいないかを見つけ出すという、根気と、熟練の技がいる仕事をなんとかこなしていく必要があること。カメラを仕掛けても、動物がただ目の前を横切るだけではなく、そのカメラに映るなかで、ビーバーの捕食が撮影される必要があるので、カメラがばっちりの位置でなければ役には立たないということなど、研究者の地道な努力も伝わってきました。

このビーバーとオオカミの話は、かなりマニアックなレベルの話に聞こえるかもしれません。
でも、このような研究がほんとうに貴重だと感じたことの一つの理由は、この研究が、生態系の微妙なバランスをとても大切に考えているからです。
もしビーバーがこの地域から突如いなくなってしまったら、この周辺に住むオオカミは、毎日のように大型動物の獲物を狩るのにがんばらないといけないでしょう。
体力をつかって生きていくことになったら、子供の数も減ってしまうかもしれません。十分な栄養を夏に得られなかったオオカミは、冬を生き抜くことも難しくなるかもしれません。オオカミの数が減ったら、シカの数はどうなるでしょうか?
今ここで保たれている生態系のバランスは、一つの事象が変化しただけで、大きく変わってしまうこともあり得るのです。
日本ではシカは人間が狩ってジビエでたべればよいという意見もたくさんあるそうです。でも、人間が狩ったシカは、人間の口にしかはいりません。
他の動物の食べ物にはなりえないのです。オオカミが狩った獲物のおこぼれにあずかる数多くの動物はいません。1頭のシカは、人間が持ち去らなければ、いったいどれほどの野生動物のおなかを満たすことになるのでしょう?

シカという問題を考えるときには、私たちはその背後にある様々なつながりをもっと頭において考える必要があるんじゃないかな?と思います。
たとえばこの、ビーバーとオオカミとのように。

参考までに、トムさんの研究を紹介している記事のウエッブサイトです
1) https://www.nps.gov/rlc/greatlakes/wolves-and-beavers.htm
2) http://queticosuperior.org/blog/uncovering-the-secret-lives-of-wolves
3) http://www.agatemag.com/2018/06/uncovering-the-secret-lives-of-wolves/
4) https://www.youtube.com/watch?v=VlDVC1gdrxU


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# by tinbraun2 | 2018-11-13 01:24 | しぜん

赤ずきんちゃん伝説は本物?


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先日簡単に触れたオオカミシンポジウム、会場は大会場から小会場まで7か所にわかれ、3日にわたり21か国の人々により、ポスター発表も含めて100件以上の発表があったので、もちろん全部を見ること等到底できませんでした。そこで、たまたま見ることができたものの一つに、先日お知らせしたトンプソンの発表もあったのですが、
今回はノルウェー大学の別の発表をご紹介します。

内容は
『赤ずきんちゃん、気を付けて? オオカミは本当に赤ずきんちゃんを襲うか?』というものです。
発信機をつけたオオカミがテリトリーとしている場所をわざわざ歩いて、実際にオオカミと何メートルの近さまで近づき、その近づいた際のオオカミの行動を,森の中を歩きながら記録するというものです。
この調査では、オオカミとの距離が500Mの場所からスタートし、オオカミのいた地点から50Mを通り過ぎ、さらには500mの距離をあるきつづけて、その間のオオカミのとった行動を1分おきに記録し、調査するというものです。

興味深いことに、オオカミたちはこの調査者たちにかなり早い時点で気が付き、調査者たちと遭遇しないように道からそれ、調査者たちが歩きさったあと、数分のちに、その調査者たちの足跡のにおいを確認し、しかしながら調査者にさらに近づくということはせずにその場を離れるという行動をとったということです。
私が一番興味深かったのは、調査者が歩いたあと、遭遇が考えられない程度の時間をすごした後に、かならずオオカミが、調査者の足跡のにおいを確認しに、その場所に戻るということです。つまり、確実にオオカミが調査者に気づいて、その調査者を完全に避けたことがわかります。

つまり、赤ずきんちゃんが来るのをオオカミが待ち受け、たべちゃうぞ~というようなことはなく、反対にオオカミが先に避ける行動をとっているということが確認されたということです。発信機で場所がわかっていることで、わざわざオオカミのいる場所に調査者のほうから近づいて行ったにも関わらず、数回の調査の中で、一度としてオオカミの姿を視認することはできなかったということです。

これはオオカミの発信機からの信号で、オオカミがどのように人間の地点との距離を保つ行動をとったかということがはっきり見える研究で、『森にオオカミがいたら、人が殺される!』というオオカミ再導入に向けての障壁を取り除くことのできる興味深い研究だと思います。
会場からは
①調査者は何人だったか?
②背の低いもの、子供だったらオオカミの態度はちがうだろうか?
などといった質問があり、調査者は、この研究はまだまだ始まったばかりで、まだまだ調査事例が少ない。その上今回は大人2名、ふつうの会話を行いながら歩いたが、これが子どもだったらどうか、大人1名だけだったら違うか?など、まだまだ調査してみたほうがよいという内容がいろいろあると思う。また、世界各国の事例がもっとたくさん集まればなおよいので、協力者を募りたいといった回答がありました。
また、今後は発信機に、オオカミの心拍等を測る機械を取り付けて、オオカミが実際に人間に遭遇した際に、どんな精神状態にあるのかを測定し、そういったオオカミの心理状態も分析できるようにすることで、人間になれているオオカミとそうでないオオカミとの距離の違い等も測ってみたいといった話もありました。
人間でいえば、嘘発見器のようなものをオオカミにとりつけるといったようなことでしょうか?

日本でも今、シカの対策としてオオカミの導入の話がありますが、オオカミへの恐怖心がまず第一の関門かと思います。
この研究の事例がもっともっと集まって、大きな成果となることを期待したいと思います。



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# by tinbraun2 | 2018-10-22 00:08 | しぜん

お久しぶりです

モンタナにやってきて、日本とアメリカをいったりきたりするうちに、なんと10年近くの月日が過ぎました。
最初にこのブログをスタートしたのは、遠くに住む知り合いに近況を伝える目的と、文化が違うとこんなに色々
違うことがあるんだなという思い、新鮮な気持ちや驚きを書き留めておきたいといった、かなり個人的な理由からだったのですが
次第に別のツールを使うようになったことと、さらには自分がその場所に慣れてきたおかげで、いままでびっくりしたり目からうろこだったりした
事柄が、あまり新鮮な驚きをもって映らなくなってきた(メガネが曇ってきた?)ために、なんだか書くことが少なくなってきたというのがもう一つの
理由でもあります。
さて、そんな数年のブランクの間に、7年程の歳月をかけて作ってきた、イエローストーン大生態系に咲く植物の図鑑制作も大詰めを迎えていたのですが、
その本もやっとこさっとここの4月に完成し、出版の運びとなりました。

本の細かな手直し作業に追われる時間がなくなったことで、かなり一息ついてほっとしたというのも理由の一つとなったのですが、突如今回このブログをもういちど少し
書いてみたいと思ったのは、先週会社のツアーの一環で訪れた、ミネソタの国際オオカミシンポジウムにかなりの衝撃を受けたからです。
会場ではアメリカやカナダはもちろん、ヨーロッパやアジアなど各地から人々が訪れ、オオカミという生態系の頂点捕食者と、人間社会に限らないその他の野生動物との関係性や、生態など等、実に様々な視点から研究調査発表がなされていました。
実は今回ツアーに同行していた日本からの参加者は、1名がポスターセッション、2名が口頭発表で日本のオオカミの現状について報告したのですが、実をいうと21か国もの国々が集まるなかで、オオカミが不在であったのは日本だけだったようでした。
もちろんどこの国にも、まだ赤ずきんちゃんから続く、オオカミに対する不信、反対意見、恐怖心というものは全くないわけではないようですが、報告されていた事柄からは、マイナス面ではなくむしろ生態系の頂点捕食者がいることでもたらされる豊かさのほうを強く感じられました。

カナダのトンプソンという町は、ネイティブもたくさん暮らす町で、ネイティブたちのオオカミを尊敬する文化がそのまま残り、
オオカミをハンティングするという経験のなかった町だったそうですが、この町は今オオカミの首都wolf capitalを名乗って、近くのチャーチルという場所が氷が接岸する11月までの間に、ホッキョクグマもオオカミと共にみられるということで、観光客をよびこもうと積極的に動いているそうです。
そんなトンプソンの町の人に聞くと、人々はオオカミに対してまったく恐怖心というものを抱いていない、むしろ共存するに喜ばしい素晴らしい動物として受け止めているということでした。
今日本では野生動物に対して毎年のように様々なニュースが流れています。農作物の被害が甚大であるということ、野生動物たちが里に下りてきて困るということ。そんなニュースを見るたびに、日本の人々は今、野性動物とどうやって共存すべきなのかが分からなくなっているように感じます。
そんな大きな日本の人々の野生動物に対してのイメージと、会場での人々とのギャップを強く感じつつミネソタから戻ってきたとたん、
昨日、NHKで野生動物についてのニュースが全国的に放映されているのを見て、特にそのタイトルに愕然としました。
『身近に迫る野生動物の危険』というものです。http://jcc.jp/news/14005033/

内容は、野生動物がどんどん地方だけでなく近くに迫ってきているので、シカからはマダニを媒介した病気が人間にうつる危険、そのほか野生動物と遭遇する危険、農作物被害の危険等が迫っているというものです。そしてそうした野生動物を追い払うために、一部地域では、農作物被害対策として凶暴な顔をしたオオカミ型ロボットが導入されているとのこと。
映像の一番最初は、車で夜間走っていたところ、山口県下関市で、目の前にシカの群れが飛んで横切りびっくりするという映像と、北海道日高町で、急ブレーキを踏んだが間に合わず、熊に衝突するというものです。
モンタナでは車道で鹿の群れに遭遇するのはむしろ普通のことですし、熊は、車に衝突されてむしろかわいそうに見えました。。
が、これが、『身近に迫る野生動物の危険』というニュースのトップ映像なのです。

このような内容が全国レベルで、それもNHKが報道しているということに脅威を感じます。
このニュースからは、里に下りてきた野生動物がただただ危険であるという情報しか伝わってきません。
これらの野生動物がどうして山から下りてこざるを得ないのか、その背景や問題点を伝えることが一番重要なのではないのでしょうか?
そして、どうしたらそのような野生動物と一緒に私たちはうまくやっていくことができるのかという問いかけと。

人間は地球の中心ではないこと。人間だけが地球に暮らしている生き物なのではないということ。
野生動物と共に暮らしているということを忘れているということを、日本の人々はもう一度考え直す時代に来ているのだと強く感じます。




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# by tinbraun2 | 2018-10-16 08:04 | しぜん

ボーズマン図書館children's festival

昨日は毎年開かれる、ボーズマン図書館のchildren's festival でした。毎年、かなり有名な子供の絵本や本の作家が招待されて1日中のイベントが開催されます。去年も行ったのだけど、遅い時間に行き過ぎて、作家のトーク等はすべておわってしまっていました。今年は早くにいったので、作家が自分の絵本を直接パワーポイントで紹介してたり、トークしたりするのを聞くことができました。今回は、日本でも本やさんの絵本コーナーにいくと必ずおいてある、この熊の絵の挿絵を描いたジョン・クラッセン氏と、マック・バーネット氏が特別ゲスト。
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実は熊の絵の『どこいったん』はこの二人の共作ではなかったので、特に取り上げられた本は共作の2冊でした。1冊は『アナベルとふしぎなけいと』もう1冊は『サムとデイブあなを掘る』です。特に2冊目の作品は、軽くするっと読むといろんなシカケがあることにあまりきづかないのですが、作家自身が仕組んだいろんな仕掛けを少し説明してくれると、どれだけこの絵本1冊を仕上げるのに、いっぱい考えられてあるかがわかってとても面白かったです。(ここに書いてしまうと完全にネタをばらしてしまうので、読んでみたい人はぜひいっぱい探してみてください)。マックさんはお話しを書いている人らしく? 話上手で、常に笑顔でみんなをたくさん笑わらせていました。ジョンさんは絵を描く人らしく、内に秘めたるものがある静かな感じのする方。お二人ともいまや絵本の世界では売れっ子の作家さんですが、最後のサイン会ではひとりひとりの子供たちに声をかけ、話かけ、時間を惜しむことなくひとりひとりの人たちにひとつずつのメッセージやイラストを描いておられて、とてもさわやかな印象をうけました。
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我が息子にも『サムとデイブ』を購入し、サインをしてもらうのに、「11月26日8歳になるkEIへ」と書いてくださいとお願いしたら、ジョンさんは「おー!!3日違いだ、僕は11月29日が誕生日だよ!」といって、バースデーハットをかぶった犬のイラストを特別に本に書いてくれました。マックさんに、日本でもお二人の本はよく目にしますし、日本の人もいっぱいあなたたちの本を読んでますよ!といったら、すごく嬉しそう+ちょっと心配そうに「翻訳はどうですか?」ときかれました。本はみかけたことがあったけれど、きっちり読んだことがなかったので、翻訳についての感想を伝えられなかったのが残念でした。
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# by tinbraun2 | 2015-11-09 03:51 | せいかつ

ことり

我が家では5羽の小鳥を飼い始めて3年になった。フィンチが2羽と、セキセインコが3羽。実は4歳になる息子に、何かペットをという夫に、いつも留守にもなりがち、おまけに狭いこの我が家で犬猫は困るといって反対していたけど、小鳥ならなんとか…といっていたらば、夫が「差し上げます」欄でまずフィンチを2羽ゲット。でもフィンチは手乗りにはならない小鳥だからと、またまた、「売ります」欄で、ブリーダーさんがそれなりにてなづけた幼鳥の広告を出しているのを発見し、私がもらってきたのが1羽目のセキセインコ。ブリーダーさんは、子供のペットにと思って…というと、1羽だけにしておいたほうがいい、別の鳥仲間がいると、人とは仲良しにならないから…というので、1羽だけを購入してもどった私に夫は、「1羽だけでは寂しい、もっと仲間をつくってあげないと…。」といって、たまたま、また差し上げます欄で、すでに大きくなった子供に見向きもされなくなったセキセインコのペア?を2羽もらってきたというのがこの鳥5羽となった経緯。

さて、5羽になってみたらば、やはりセキセインコは人間のお友達にはならなかったし、思ったより鳥の声はうるさかった。手乗りにならない小鳥は、やはりそんなに楽しくなかった…ということで、私が結局毎日のように世話をすることになった。

 小鳥も、脳はそんなに大きくないけれど、実際きちんと毎日世話をしている人というのは見極めているものだ。ある朝起きてみて、やたらとやかましく鳴きたてる鳥たち。はて??と思いつつも朝食の準備をしたりしている。鳥小屋のそばを私以外の人が通ってもさして大きく鳴かないのに、私が小屋の近くを通ると、声が2倍になる。。はて・・??
そう思ってやっと手が空いたところ小屋をのぞくと、餌がちょっぴりしかなかった。
「あれあれ、ごめんね。」といいながら、餌を足しつつ、きちんと私を認識しているのがわかって面白かった。しかし認識されているといっても、現金なもので、だから私にとってもなついて、手にのって甘えてくるといったほどのことではない。お腹がおちついたらあっというまに私に語りかけてもこなくなるし。

そんな小鳥たちも見ているとかなり性格がまちまち。

フィンチは好奇心旺盛で、逃げるのも早いけど、意外に人になかなかなれないセキセインコよりも、お腹さえ空いているならば、餌を乗せた手にやってくる。

1羽目にブリーダーから購入したセキセインコ、白色のピカは性格がキツイ。個性が強く相手に喧嘩を吹っかける。おまけに一度は手乗りでならされたものの、我が家に来てからは鳥友達がいるので人には甘えたりは決してしないけれど、お腹が空いてるときには、昔手乗りだったことを思い出してか、我慢しきれず人の手にも乗って餌をとる。

かつてペアだったはずの水色のルナは多分メスなのだろうとおもうけれど、これがほんとに人にまったくなれない。お腹が空いていようがなんだろうがどうしたって人間がちらとでもそばにいれば決して近寄ってはこない。いつも世話してもらってる恩などなにも感じていないほどに少しでもケージに手をいれたら、恐れおののき逃げ回る。また、ペアだったと思われる緑色のチュチュとはおさらばしたのか、若鳥のピカと普段いい感じ。仲良しでお互い羽づくろいをしあったりしている。

ペアでもらってきたうちの緑色のチュチュは、おとなしい性格で、人にもずいぶん慣れている。お腹がすいていればまっさきに人の手の上にものって餌を食べるし、少し止まり木をなおしてやったり、水を変えてやったりするために手をケージに入れてもあまり動じることなく、止まり木におとなしくとまっている。いつも優しい目をしている気がしていた。これが多分オスと思われた。というのも、ルナを巡って?かなり一方的にピカから何度も追い払われ攻撃を受けていたから。
見ていたらなんとなく『お前、わかいもんがきたら俺をすてるんか??』と水色のルナをたまに悲しい顔でみているような気がした。
実はなんどもいじめられているような(止まり木にとまっていたらピカがやってきて追いやるので、逃げて別の場所に泊まる。。するとまたピカがやってきてまた追い払われるという具合)様子を見ては、この心優しげなチュチュを別のケージに入れてやったほうがよいのでは?とおもったことがなんどかあった。精神的ストレスがあるのか?別の鳥に比べて、羽が抜けることが多かったように思ったからだ。
でも、それはそれで一羽寂しく他のケージに入れられるのもかわいそうなのでは?という気もして、結局なにもしなかった。

夏になって、外がとても明るい。暖かい。南国に住むはずのインコたちにとっては、きっと外のがきもちよかろうと、(フィンチもオーストラリアの暖かいところの鳥と聞いてるし)天気が暖かであれば外に出す日々が続いていていた。でも昨日はたまたま気温もちょっと下がり、さらに自分自身もいろいろ用事でバタバタしていたので、ケージも外にださなかった。ちらと眺めたところ、チュチュは羽の中に顔をうずめて寝てばかりいるように思えた。

今朝、いいお天気だな、暖かだな、、とおもったので、ケージを外に出すことにした。
と、ケージの床にチュチュがころりと転がってるのが目にはいった。
死んでいた。

大慌てで拾い上げると、まだ体は柔らかで温かみもほんのり残っていた。

小鳥たちとは毎日餌をあげたり水を変えたりはするけれど、それほど大きなコミュニケーションはなかった。
犬や猫と違う。手乗りでもなかった。
でも、チュチュはその中でも一番まだ人いなれていて、おまけになんだかちょっとかわいそうな境遇に陥っている様子だった。羽がたくさん抜けたときにはかなり心配した。体を膨らませて、ずいぶん調子が悪そうに思えたからだ。そんなこんなで、ずっと調子が悪いんじゃないかとおもったりして、一番気にしていた小鳥がもういとも簡単に死んで転がっていた。
昨日ちらとケージをのぞいて、寝てばかりいたのを思いだした。

なにをしてやれただろう?何もできなかったかもしれない。
もうずっと慢性の病気だったのかもしれない。

でも、もっと気にかけてやっていたらば。。一体いつから死んでしまうほどに弱ってしまっていたのか?
餌を食べる行動をしなくなってどれくらいたっていたのだろう?いや、食べていたんだろうか?
もっと様子を見てやるべきだった。
手に餌を乗せて与えてみたらば食べたのだろうか?? 
もっと前からケージを分けてやろうかと思ったりしたのに、やってやればよかったのではなかったか?? 
ミレットという粟粒の穂が好きで、ケージに入れたら人をあまり恐れないから、真っ先に近くによってきて食べていたことを思い出し、ミレットをあげてみたらばよかった等といろいろに思った。

昔我が家では犬も猫も小鳥も金魚もほんとにいろいろかっていた。
それらが亡くなるたびに泣き、もっとああしてやればよかったこうしてやればよかったと、やらなかったことを後悔したものだ。

いまこの年になって、また息子のためになんとなくわが家にきたペットの鳥一羽のために、こんな思いをするとは思わなかった。

息子の1年生の教科書に、犬を失った子供の話が載っていた。
毎日犬に愛してるといい、毎日その犬と過ごしたこどもが、犬が死んだときに、「ぼくは後悔してないよ、だって毎日きみに愛してるって伝えたもの」というセリフが書いてあったのを思い出す。

今日、2羽だけになった残りのセキセインコたちをじっと眺めた。
2羽は、昨日までいた自分達の仲間がいなくなって少し探しているようにも見えた。
反対に、ずっと2羽の間にいた邪魔者がいなくなってすっきりせいせいしたようにも見えた。
せいせいしたように勝手に自分の目に映ったときには、まるで2羽がチュチュを殺したようにも思えた。

笑える。
1羽の鳥の死からの自分の様々な感傷。
そして、同時に、これらすべてはすべて尽きてしまった小鳥の命をもう二度と救うことができない、意味のないものでしかないのに。
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# by tinbraun2 | 2015-07-08 16:30 | せいかつ

自然度たっぷりのアメリカモンタナの大地で起こるいろんな発見をお伝えしていきます
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