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ところ変われば?!

モンテッソリー式授業参観

オオカミの話等を継続して書いていくつもりだったのですが、そればかりもつまらないので、今回は全く別の話。

以前も書いたかもしれませんが、モンテッソリー式の学校の授業参観について。

モンテッソリー式授業参観_d0122331_22552508.jpg


早いもので、コザルも、次第にコザルではなく、ワカザルになってきました。そのワカザルもこの学校を今年の6月に卒業します。この授業参観も、これが最後だったかもと今になって思いつつ。いままでの授業参観は、「ペアレンツナイト」という名前で、ほんとの授業時間ではなく、両親が参加しやすい6時ごろからスタート。日本と一番違うのは、ここの授業参観は、子供が、自分が普段どんな授業を受けているのかを説明するということ。ペアレンツナイトの時は、子供が普段行っている授業の中で、国語でも算数でも社会でもなんでも説明したいことを決めてテーブルでその授業内容をセットし、当日参加した子供たちの両親たちは各テーブルをめぐっていき、子供たちのいろいろな説明を聞くというものでした。子供たちがどれだけ理解しているのか、子供が聞かれることにただ答えるのではなく、説明することで、親も子供がどれだけ理解しているかがよく伝わる気がしました。

ただ、今回実施されたのはペアレンツナイトではなく、ごく普通の時間に両親が参観するという形態。つまり、ふつうの時間帯に30分ずつの参観タイムを設け、親がそれに登録し、その時間に出かけて行って、自分の子供の説明だけを聞くというもの。ちょっと簡易化された気はしますが、ペアレンツナイトとは別で、普段の子供たちの様子を知る事はできるのかもしれません。

さて、今回息子が披露したのはアルジブラと英語ではいわれるもの。実は以前からアルジブラってなんであろうか?と思っていながら調べてみたことがなかったのですが、つまりは代数ということだそうで。で、代数ってなんだったっけ?ということすら忘れている私ではありますが、つまりはxをつかった式のことなのです。私たちが学校でxを使った式を習う場合、たとえば下の式の場合どうするでしょう?

x+3=2x+6

この式を見ると、自分だったら、xをまとめて整数をまとめます。

5x2x6-3

3x=3

X=1

これは、式だけで習った人がやる方式で、これがもうふつうである場合は大した問題もないように思われるのですが、久々にこんな式を見ると、何でお互いをまとめるときに、マイナスするのだろうということが急に不思議に思われたりしました。(ネットで調べると、これを移項といい、プラスのものを、移動するときはマイナスに、マイナスのものはプラスにするという決まりがあるようです)。

さて、面白いのはここから。この代数を学ぶとき、息子はビジュアル化した教材を使っていました。

それはちょうどチェスのボードのような雰囲気で、なんだかゲーム感覚で、xに対しての畏怖が少し緩和されるような(笑…私のような数学嫌いしか感じないことかもしれないですが)。

モンテッソリー式授業参観_d0122331_22544015.jpg

①はかりの上はつりあわないといけない。

②xの文字はキッスチョコレートのような形の駒と同じ意味

x(キッスチョコ)同志は同じ数だけとってもいい

③xのない数字同志も同じ数だけとってもいい。

このイメージを頭の中においてゲームのように行うと、xをまとめるために=をまたいで左に持っていったり右に持って行ったりという移項を行わず、反対にそのはかりの上から駒を取り去るという作業が行われることになります。

x+22x+34

▲+2+▲▲+3=▲▲▲▲

2▲▲+3=▲▲▲▲ (は取り去ることができる駒) 

2+3=▲

5=▲

これを私が習ったようにxだけでまとめて計算すると…

3x+54

あれ?3xから4xをひくとマイナスになってしまう?

あ、でも5を右に移動すると-5だから結局xは5になるのか。。(わかりにくい!!)

どうでしょう?左から右に数字やxをあちこち移動させ、そのたびにプラスをマイナスにしたり、マイナスをプラスにするよりよほど簡単ではないでしょうか?

なんて画期的!

私も中学の時にこういう風に習っていれば数学が嫌いにならなかったかも??


なお、小学5年生で代数をやっていることに、少々驚いたのです。だって日本ではまだやっていないでしょう? 日本がやっている算数に比べてまだまだ遅れてるという感覚があったのですが、反対に日本ではやってないことを先にやっていたりもするようです。


目からウロコの授業参観でありました。





# by tinbraun2 | 2019-03-27 22:34 | せいかつ

国際オオカミセンター

先日、オオカミセンターについて、少し触れたのですが、今回は、ミネソタ州、ELY(イーリー)という町にある国際オオカミセンターについてご紹介します。
このセンターは、自然の中のオオカミのあるべき立場と人が果たすべき役割についてきっちりと伝えていくことで将来生き残ることのできるオオカミの数を少しでも増やすことをミッションとしたNPO組織の拠点として1993年7月にスタートしました。

国際オオカミセンター_d0122331_06542128.jpg

まず、この国際オオカミセンターがこのミネソタの田舎にある理由は、全米各地でほとんどのオオカミがいなくなった1900年代初めごろ、唯一オオカミが絶滅せずに生き残った場所がこのミネソタだったということ。ミネソタは世界で2番目に広いことで有名なスペリオール湖があります。
その湖からの湿った空気のために、夏は湿度が高く、冬は非常に寒い場所ですが、その湿潤な気候のために落葉樹も多く、この地域の紅葉はとても見事な事で知られています。
国際オオカミセンター_d0122331_10561802.jpg
標高が高く、樹種も針葉樹しかないようなモンタナやワイオミングでは、その森を利用できる動物も数に限りがありますし、その標高の高い山に、群れの移動ルートも制限されてしまいます。ミネソタでは、一番標高の高い山はわずか700M。樹種の豊富さ、それを利用する動物の多さ、移動の容易さ(=森の懐が深さ)が、この地域のオオカミが絶滅しなかったことの大きな理由だったと考えられています。
オオカミ研究で世界的に有名なデービッド・ミッチ博士がこの場所を拠点に研究を行っていたことが、この場所が選ばれたひとつの理由でもあります。

しかしながら、このELYという町(下の地図の小さな赤い点の場所)は、ミネソタでもかなり北東部、もうカナダとの国境はすぐそこといった場所にあり、ミネアポリス空港から車で片道5時間もかかります。
国際オオカミセンター_d0122331_06272770.png

つまり、ちょっとこのセンターにいってみようかな・・と気軽に思っていけるような場所にはない、集客をメインに考えた場合にはまったく不利な場所にあるのでした。

ところがこのオオカミセンター、1993年7月に開館して以降、昨年には100万人の来館者を迎えるという成功を収めています。
気軽に足を運ぶことのできないような田舎町まで、わざわざいってみようと思った人が100万人もいたということです。
ちなみに2016年には45000人近くの来館者を迎えています。

オオカミの役割についてきっちり伝えていくということをミッションに掲げているこのセンターが一番重きを置いているのは、オオカミについての教育事業です。
2016年の報告書によれば、センターの予算の81%を教育事業に費やしています。
ちなみにアメリカ国内には、NPO組織としてのお金の流れが妥当であるか、職員の給料が妥当かどうか等を判断する場所があるのですが、このNPOは最高ランク4つ星の評価をもらっています。


年間プログラム運営のプランニング責任者のクレスタさんに話を聞く機会をいただいたのですが、その話ではこのような孤立した田舎の立地を考えて
プログラムを反対に世界中から受け入れられる仕組みにすべく努力していることです。
国際オオカミセンター_d0122331_14240705.jpg
(プログラム運営プランニング責任者のクレスタさん)

① インターネットを活用して、オオカミ研究者から直接話を聞いたり、オオカミの動画を配信したりするプログラム
② プログラムの実施は前もって希望を聞く仕組みを設けて、その希望に即したプログラムを用意する
③ 館内宿泊つきのプログラムを行う。オオカミは夜行性なので、反対に活動的なオオカミの実態を見てもらうことが可能となる
④ 田舎の離れた場所に来るからには、1日だけではなく数日を過ごす人がほとんどなので、宿泊プラス、2-3日のプログラムを用意する
⑤ ミネソタの小学校に対しては、学校にスタッフが出向いて、出張授業も行っている

等など、かつてこのようなプログラムを計画、実施していた自分としては、こういったことを聞くと、クレスタさんがかなり忙しい人であることが推察されました。
ちなみに、①のインターネット授業は、希望に応じた実施もされていて、実はベトナムから実施の希望があり、当初は時差の問題が気にはなったけれど、時間を調整し、実施することができたということでした。2016年には米国内に限らず世界各地1600人の学生に向けてオオカミに関する授業を行うことができたそうです。

つまり、日本からの要請があれば、日本でも、このインターネット授業は実施することができるのです。PCの映像とはいうものの、本当にアメリカのミネソタの館にいる、今生きて動いているオオカミを見ながら、専門家の話を聞くことができるなんて、かなりわくわくすることじゃないでしょうか?
日本の学校は、今、英語の授業にもっと注力をすべきという話になっているようですが、どうせならこんな英語の授業*理科の授業をやってみたらどうなのでしょう?
https://www.wolf.org/programs/educator-resources-wolf-link/video-conferencing/

当センターは田舎の立地にありながら、2016年時点で25か国、4700人もの人々がメンバーとして登録しており、フェイスブックでは7万6千人を超えるファンを得、オオカミセンターのウエッブサイト訪問者数も60万を超え、多くの情報を国内外へと上手に配信し続けています。
https://www.wolf.org/
https://www.facebook.com/InternationalWolfCenter

国際オオカミセンターを訪れたら、みなさんは、大きなガラス越しに、小さなころから人に慣れさせたオオカミが歩く姿を目にすることになるでしょう。
国際オオカミセンター_d0122331_10465310.jpg
つまり、オオカミしかいない動物園といったところでしょうか。
本当の野生のオオカミとは、やはり違うオオカミの姿だと思います。
しかしながら、本当のオオカミの姿を目の前にしながら、オオカミの生態的な特徴等について学ぶのと、机の上で本だけを開いて学ぶのとでは理解の深度がちがいます。
センターが発信している『オオカミは人と同じ、この地球上に住む野生動物の一員です』というメッセージは、やはりその場所にオオカミがいるからこそ、心の中に響いてくるような気がするのです。
実際、オオカミセンターの門をくぐった人は、実はすべてがオオカミ大好き人間というわけではなかったと、プログラムを担当してきたクレスタさんは言います。
(正直、オオカミが好きでもないのに、どうしてこのオオカミセンターにやってくるのだろうというのはいまだにわからないと彼女は言いますが)
そして、自分たちがプログラムを実施し、オオカミの姿を見て、オオカミの生態等を学ぶうちに『オオカミに対しての意識が変わりました』といって帰る人に
何度かであってきた。そんな人がいるからこそ、このセンターの存在意義があると感じているというお話しでした。

日本にもこんなオオカミ情報を発信する場があれば、日本の人々のオオカミへの意識も変わってくるのではないでしょうか? Elyみたいな田舎町でいいのです。
ひょっとしたら、そのオオカミ情報発信の拠点があることで、その場所にやってくる人が増えるという相乗効果も期待できるかもしれません。










# by tinbraun2 | 2018-12-08 06:34 | しぜん

ビーバーとオオカミのかかわりあい

引き続き、、、国際オオカミシンポジウムから、報告の一つをご紹介します。

今回のテーマは『オオカミとビーバーの関係性』について。
実は国際シンポジウムに行く前に、ミネソタEly という場所にある、国際オオカミセンター(https://www.wolf.org/)というところに立ち寄りました。
その場所で、特別に、世界的にも有名なオオカミキュレーター、ローリーさんにお会いして、展示場からではなく、特別にバックヤードにいれてもらい、オオカミのおりのすぐそば(ローリーさんだけ中にはいっていましたが)でしばらく過ごす時間をいただいたのですが、ここでの細かな話は、また別のお話しとして、、、
その際に、バックヤードでみたのはぎょっとするような凍ったビーバーの死体。
ビーバーとオオカミのかかわりあい_d0122331_13472461.jpg

いままでオオカミというものは、シカ等蹄をもつ、4つ足の動物を主に狩りをして食べると思っていたので、ビーバーを餌として与えているのをしって、野性のオオカミもビーバーをハンティングして食べたりするのだろうか?という疑問がわきました。そこで、ローリーさんに尋ねると、「オオカミは水辺でビーバーが多く生息している場所では、ビーバーを狩って食べます。その詳しい話をしりたければ、オオカミシンポジウムでトムが話ますよ」というお答えをいただきました。
そこで、国際シンポジウムでは、ぜひトムさんのビーバーについてのお話しを聞こうと、心に決めていたのでした。

まず、私が『オオカミがビーバーを狩る』というのをきいて思ったのは、群れで大型動物を倒して食べるオオカミのイメージからはほど遠いということ。
水の中に逃げ込まれたらオオカミが狩るのは難しいだろうということ。大型動物のかわりにビーバーという獲物であれば、かなりたくさん狩りをしないと群れを養うのが難しいのではないかということでした。

シンポジウムのトムさんの話では、「オオカミは水辺の、ビーバ―の生息数の多い地域では、待ち伏せという方法でビーバーを狩っている」ということ。ビーバーは水の中を泳ぐのはとても長けており、いったん水の中に逃げ込んでしまえばオオカミはどうにも太刀打ちできないので、夏の間、ビーバ―が川から上がってきて、川沿いの柳の木等をかじって倒す作業をするところを狙うのだそうです。オオカミといえば、大型の野生動物になるべくこっそり近づいて行って距離を縮め、四方から群れでおいつめていって狩りをするというイメージでしたが、ビーバーがやってくるのをひそかにじっと草の上に伏してまってやってきたら襲うという、どちらかといえば、ネコ科の動物のような根気のいる行動をすることもあるのだなということを知りました。

①冬になると、川は氷が張り、ビーバーが陸上に上がることは少なくなるが、数が多く、陸上では動きの鈍いビーバーは、水辺近くにすむオオカミの夏場の重要な食糧源となっていると考えられるということ。それは糞の分析からも分かっているということ。

②夏場に大型動物は逃げ足も速く捕まえるのには体力を消耗するが、ビーバーを狩ることができる地域に住むオオカミでは、ビーバーを捕食しない場所のオオカミに比べて、子供の数が違うこということから、群れの維持にビーバーからの栄養が役に立っているようだということ。

③夏場にシカではなく、ビーバーを主に捕食することから、シカの個体数が増えることが想定されるけれど、実は夏のビーバーからの栄養のおかげで、オオカミの個体数が反対に増え、シカの個体数は逆に減っているということがわかってきているということ。

④ビーバーはオオカミに自分が狙われていることを知っていて、オオカミのにおいでオオカミを避けようとしているということ、それをさらにオオカミもわかっていて、ビーバーが陸上で行動する約3Mほど風下でビーバーを待ち受けているということがわかってきたということ。約120回のアタックの中で、風下にいたほとんどの場合は、ビーバーの捕食に成功しているようだということ。(失敗はこの中のわずか10回ほどのみ)

⑤大型の動物と違い、ビーバーは獲物としては小型の動物になり、その捕食回数等を知るに必要な骨等の残骸が見つかりづらく、見つける目を持つ人間を養成することがとても大切であり、大変でもあるということ。
等の話がありました。

発表スライドの中には、オオカミが長く長く伏せて待っていたために草が押し倒されて丸く平らになった草の上に、わずかながらに落ちていたビーバーの骨のほんの一部の写真がありました。あんなちょっとの残骸を、くさむらの中から探し出すのはかなり大変だろうということは容易に想像できました。

今、オオカミが1匹一体どれくらいの数のビーバーを食べているのか、ビーバーの個体数はオオカミによる捕食は大きく関係しているのだろうか?
また、オオカミがビーバーを捕食している分、シカの捕食率はそれに比例して少なくなるのだろうか、もしくは変わらないのだろうか? また、シカの生息数に、ビーバーは関係しているのだろうか、していないのだろうか?

そんな事柄をいろいろ明らかにしていこうというこの研究は、少しずつ成果も出始めて、実はビーバーの捕食がシカの個体数の減少につながっているという興味深い結果も出始めてはいるのですが、何せ、残骸がのこりにくいという理由(あごの骨のかけら1つといったようなものでしかない)で、オオカミが待ち受けていた草の倒れている場所をまずは探し出し、その場所に小さなビーバーの骨が落ちてはいないかを見つけ出すという、根気と、熟練の技がいる仕事をなんとかこなしていく必要があること。カメラを仕掛けても、動物がただ目の前を横切るだけではなく、そのカメラに映るなかで、ビーバーの捕食が撮影される必要があるので、カメラがばっちりの位置でなければ役には立たないということなど、研究者の地道な努力も伝わってきました。

このビーバーとオオカミの話は、かなりマニアックなレベルの話に聞こえるかもしれません。
でも、このような研究がほんとうに貴重だと感じたことの一つの理由は、この研究が、生態系の微妙なバランスをとても大切に考えているからです。
もしビーバーがこの地域から突如いなくなってしまったら、この周辺に住むオオカミは、毎日のように大型動物の獲物を狩るのにがんばらないといけないでしょう。
体力をつかって生きていくことになったら、子供の数も減ってしまうかもしれません。十分な栄養を夏に得られなかったオオカミは、冬を生き抜くことも難しくなるかもしれません。オオカミの数が減ったら、シカの数はどうなるでしょうか?
今ここで保たれている生態系のバランスは、一つの事象が変化しただけで、大きく変わってしまうこともあり得るのです。
日本ではシカは人間が狩ってジビエでたべればよいという意見もたくさんあるそうです。でも、人間が狩ったシカは、人間の口にしかはいりません。
他の動物の食べ物にはなりえないのです。オオカミが狩った獲物のおこぼれにあずかる数多くの動物はいません。1頭のシカは、人間が持ち去らなければ、いったいどれほどの野生動物のおなかを満たすことになるのでしょう?

シカという問題を考えるときには、私たちはその背後にある様々なつながりをもっと頭において考える必要があるんじゃないかな?と思います。
たとえばこの、ビーバーとオオカミとのように。

参考までに、トムさんの研究を紹介している記事のウエッブサイトです
1) https://www.nps.gov/rlc/greatlakes/wolves-and-beavers.htm
2) http://queticosuperior.org/blog/uncovering-the-secret-lives-of-wolves
3) http://www.agatemag.com/2018/06/uncovering-the-secret-lives-of-wolves/
4) https://www.youtube.com/watch?v=VlDVC1gdrxU





# by tinbraun2 | 2018-11-13 01:24 | しぜん

赤ずきんちゃん伝説は本物?


赤ずきんちゃん伝説は本物?_d0122331_14193606.jpg

先日簡単に触れたオオカミシンポジウム、会場は大会場から小会場まで7か所にわかれ、3日にわたり21か国の人々により、ポスター発表も含めて100件以上の発表があったので、もちろん全部を見ること等到底できませんでした。そこで、たまたま見ることができたものの一つに、先日お知らせしたトンプソンの発表もあったのですが、
今回はノルウェー大学の別の発表をご紹介します。

内容は
『赤ずきんちゃん、気を付けて? オオカミは本当に赤ずきんちゃんを襲うか?』というものです。
発信機をつけたオオカミがテリトリーとしている場所をわざわざ歩いて、実際にオオカミと何メートルの近さまで近づき、その近づいた際のオオカミの行動を,森の中を歩きながら記録するというものです。
この調査では、オオカミとの距離が500Mの場所からスタートし、オオカミのいた地点から50Mを通り過ぎ、さらには500mの距離をあるきつづけて、その間のオオカミのとった行動を1分おきに記録し、調査するというものです。

興味深いことに、オオカミたちはこの調査者たちにかなり早い時点で気が付き、調査者たちと遭遇しないように道からそれ、調査者たちが歩きさったあと、数分のちに、その調査者たちの足跡のにおいを確認し、しかしながら調査者にさらに近づくということはせずにその場を離れるという行動をとったということです。
私が一番興味深かったのは、調査者が歩いたあと、遭遇が考えられない程度の時間をすごした後に、かならずオオカミが、調査者の足跡のにおいを確認しに、その場所に戻るということです。つまり、確実にオオカミが調査者に気づいて、その調査者を完全に避けたことがわかります。

つまり、赤ずきんちゃんが来るのをオオカミが待ち受け、たべちゃうぞ~というようなことはなく、反対にオオカミが先に避ける行動をとっているということが確認されたということです。発信機で場所がわかっていることで、わざわざオオカミのいる場所に調査者のほうから近づいて行ったにも関わらず、数回の調査の中で、一度としてオオカミの姿を視認することはできなかったということです。

これはオオカミの発信機からの信号で、オオカミがどのように人間の地点との距離を保つ行動をとったかということがはっきり見える研究で、『森にオオカミがいたら、人が殺される!』というオオカミ再導入に向けての障壁を取り除くことのできる興味深い研究だと思います。
会場からは
①調査者は何人だったか?
②背の低いもの、子供だったらオオカミの態度はちがうだろうか?
などといった質問があり、調査者は、この研究はまだまだ始まったばかりで、まだまだ調査事例が少ない。その上今回は大人2名、ふつうの会話を行いながら歩いたが、これが子どもだったらどうか、大人1名だけだったら違うか?など、まだまだ調査してみたほうがよいという内容がいろいろあると思う。また、世界各国の事例がもっとたくさん集まればなおよいので、協力者を募りたいといった回答がありました。
また、今後は発信機に、オオカミの心拍等を測る機械を取り付けて、オオカミが実際に人間に遭遇した際に、どんな精神状態にあるのかを測定し、そういったオオカミの心理状態も分析できるようにすることで、人間になれているオオカミとそうでないオオカミとの距離の違い等も測ってみたいといった話もありました。
人間でいえば、嘘発見器のようなものをオオカミにとりつけるといったようなことでしょうか?

日本でも今、シカの対策としてオオカミの導入の話がありますが、オオカミへの恐怖心がまず第一の関門かと思います。
この研究の事例がもっともっと集まって、大きな成果となることを期待したいと思います。






# by tinbraun2 | 2018-10-22 00:08 | しぜん

お久しぶりです

モンタナにやってきて、日本とアメリカをいったりきたりするうちに、なんと10年近くの月日が過ぎました。
最初にこのブログをスタートしたのは、遠くに住む知り合いに近況を伝える目的と、文化が違うとこんなに色々
違うことがあるんだなという思い、新鮮な気持ちや驚きを書き留めておきたいといった、かなり個人的な理由からだったのですが
次第に別のツールを使うようになったことと、さらには自分がその場所に慣れてきたおかげで、いままでびっくりしたり目からうろこだったりした
事柄が、あまり新鮮な驚きをもって映らなくなってきた(メガネが曇ってきた?)ために、なんだか書くことが少なくなってきたというのがもう一つの
理由でもあります。
さて、そんな数年のブランクの間に、7年程の歳月をかけて作ってきた、イエローストーン大生態系に咲く植物の図鑑制作も大詰めを迎えていたのですが、
その本もやっとこさっとここの4月に完成し、出版の運びとなりました。

本の細かな手直し作業に追われる時間がなくなったことで、かなり一息ついてほっとしたというのも理由の一つとなったのですが、突如今回このブログをもういちど少し
書いてみたいと思ったのは、先週会社のツアーの一環で訪れた、ミネソタの国際オオカミシンポジウムにかなりの衝撃を受けたからです。
会場ではアメリカやカナダはもちろん、ヨーロッパやアジアなど各地から人々が訪れ、オオカミという生態系の頂点捕食者と、人間社会に限らないその他の野生動物との関係性や、生態など等、実に様々な視点から研究調査発表がなされていました。
実は今回ツアーに同行していた日本からの参加者は、1名がポスターセッション、2名が口頭発表で日本のオオカミの現状について報告したのですが、実をいうと21か国もの国々が集まるなかで、オオカミが不在であったのは日本だけだったようでした。
もちろんどこの国にも、まだ赤ずきんちゃんから続く、オオカミに対する不信、反対意見、恐怖心というものは全くないわけではないようですが、報告されていた事柄からは、マイナス面ではなくむしろ生態系の頂点捕食者がいることでもたらされる豊かさのほうを強く感じられました。

カナダのトンプソンという町は、ネイティブもたくさん暮らす町で、ネイティブたちのオオカミを尊敬する文化がそのまま残り、
オオカミをハンティングするという経験のなかった町だったそうですが、この町は今オオカミの首都wolf capitalを名乗って、近くのチャーチルという場所が氷が接岸する11月までの間に、ホッキョクグマもオオカミと共にみられるということで、観光客をよびこもうと積極的に動いているそうです。
そんなトンプソンの町の人に聞くと、人々はオオカミに対してまったく恐怖心というものを抱いていない、むしろ共存するに喜ばしい素晴らしい動物として受け止めているということでした。
今日本では野生動物に対して毎年のように様々なニュースが流れています。農作物の被害が甚大であるということ、野生動物たちが里に下りてきて困るということ。そんなニュースを見るたびに、日本の人々は今、野性動物とどうやって共存すべきなのかが分からなくなっているように感じます。
そんな大きな日本の人々の野生動物に対してのイメージと、会場での人々とのギャップを強く感じつつミネソタから戻ってきたとたん、
昨日、NHKで野生動物についてのニュースが全国的に放映されているのを見て、特にそのタイトルに愕然としました。
『身近に迫る野生動物の危険』というものです。http://jcc.jp/news/14005033/

内容は、野生動物がどんどん地方だけでなく近くに迫ってきているので、シカからはマダニを媒介した病気が人間にうつる危険、そのほか野生動物と遭遇する危険、農作物被害の危険等が迫っているというものです。そしてそうした野生動物を追い払うために、一部地域では、農作物被害対策として凶暴な顔をしたオオカミ型ロボットが導入されているとのこと。
映像の一番最初は、車で夜間走っていたところ、山口県下関市で、目の前にシカの群れが飛んで横切りびっくりするという映像と、北海道日高町で、急ブレーキを踏んだが間に合わず、熊に衝突するというものです。
モンタナでは車道で鹿の群れに遭遇するのはむしろ普通のことですし、熊は、車に衝突されてむしろかわいそうに見えました。。
が、これが、『身近に迫る野生動物の危険』というニュースのトップ映像なのです。

このような内容が全国レベルで、それもNHKが報道しているということに脅威を感じます。
このニュースからは、里に下りてきた野生動物がただただ危険であるという情報しか伝わってきません。
これらの野生動物がどうして山から下りてこざるを得ないのか、その背景や問題点を伝えることが一番重要なのではないのでしょうか?
そして、どうしたらそのような野生動物と一緒に私たちはうまくやっていくことができるのかという問いかけと。

人間は地球の中心ではないこと。人間だけが地球に暮らしている生き物なのではないということ。
野生動物と共に暮らしているということを忘れているということを、日本の人々はもう一度考え直す時代に来ているのだと強く感じます。







# by tinbraun2 | 2018-10-16 08:04 | しぜん

自然度たっぷりのアメリカモンタナの大地で起こるいろんな発見をお伝えしていきます
by tin2

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