ところ変われば?!

ボーズマン図書館children's festival

昨日は毎年開かれる、ボーズマン図書館のchildren's festival でした。毎年、かなり有名な子供の絵本や本の作家が招待されて1日中のイベントが開催されます。去年も行ったのだけど、遅い時間に行き過ぎて、作家のトーク等はすべておわってしまっていました。今年は早くにいったので、作家が自分の絵本を直接パワーポイントで紹介してたり、トークしたりするのを聞くことができました。今回は、日本でも本やさんの絵本コーナーにいくと必ずおいてある、この熊の絵の挿絵を描いたジョン・クラッセン氏と、マック・バーネット氏が特別ゲスト。
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実は熊の絵の『どこいったん』はこの二人の共作ではなかったので、特に取り上げられた本は共作の2冊でした。1冊は『アナベルとふしぎなけいと』もう1冊は『サムとデイブあなを掘る』です。特に2冊目の作品は、軽くするっと読むといろんなシカケがあることにあまりきづかないのですが、作家自身が仕組んだいろんな仕掛けを少し説明してくれると、どれだけこの絵本1冊を仕上げるのに、いっぱい考えられてあるかがわかってとても面白かったです。(ここに書いてしまうと完全にネタをばらしてしまうので、読んでみたい人はぜひいっぱい探してみてください)。マックさんはお話しを書いている人らしく? 話上手で、常に笑顔でみんなをたくさん笑わらせていました。ジョンさんは絵を描く人らしく、内に秘めたるものがある静かな感じのする方。お二人ともいまや絵本の世界では売れっ子の作家さんですが、最後のサイン会ではひとりひとりの子供たちに声をかけ、話かけ、時間を惜しむことなくひとりひとりの人たちにひとつずつのメッセージやイラストを描いておられて、とてもさわやかな印象をうけました。
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我が息子にも『サムとデイブ』を購入し、サインをしてもらうのに、「11月26日8歳になるkEIへ」と書いてくださいとお願いしたら、ジョンさんは「おー!!3日違いだ、僕は11月29日が誕生日だよ!」といって、バースデーハットをかぶった犬のイラストを特別に本に書いてくれました。マックさんに、日本でもお二人の本はよく目にしますし、日本の人もいっぱいあなたたちの本を読んでますよ!といったら、すごく嬉しそう+ちょっと心配そうに「翻訳はどうですか?」ときかれました。本はみかけたことがあったけれど、きっちり読んだことがなかったので、翻訳についての感想を伝えられなかったのが残念でした。
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# by tinbraun2 | 2015-11-09 03:51 | せいかつ

ことり

我が家では5羽の小鳥を飼い始めて3年になった。フィンチが2羽と、セキセインコが3羽。実は4歳になる息子に、何かペットをという夫に、いつも留守にもなりがち、おまけに狭いこの我が家で犬猫は困るといって反対していたけど、小鳥ならなんとか…といっていたらば、夫が「差し上げます」欄でまずフィンチを2羽ゲット。でもフィンチは手乗りにはならない小鳥だからと、またまた、「売ります」欄で、ブリーダーさんがそれなりにてなづけた幼鳥の広告を出しているのを発見し、私がもらってきたのが1羽目のセキセインコ。ブリーダーさんは、子供のペットにと思って…というと、1羽だけにしておいたほうがいい、別の鳥仲間がいると、人とは仲良しにならないから…というので、1羽だけを購入してもどった私に夫は、「1羽だけでは寂しい、もっと仲間をつくってあげないと…。」といって、たまたま、また差し上げます欄で、すでに大きくなった子供に見向きもされなくなったセキセインコのペア?を2羽もらってきたというのがこの鳥5羽となった経緯。

さて、5羽になってみたらば、やはりセキセインコは人間のお友達にはならなかったし、思ったより鳥の声はうるさかった。手乗りにならない小鳥は、やはりそんなに楽しくなかった…ということで、私が結局毎日のように世話をすることになった。

 小鳥も、脳はそんなに大きくないけれど、実際きちんと毎日世話をしている人というのは見極めているものだ。ある朝起きてみて、やたらとやかましく鳴きたてる鳥たち。はて??と思いつつも朝食の準備をしたりしている。鳥小屋のそばを私以外の人が通ってもさして大きく鳴かないのに、私が小屋の近くを通ると、声が2倍になる。。はて・・??
そう思ってやっと手が空いたところ小屋をのぞくと、餌がちょっぴりしかなかった。
「あれあれ、ごめんね。」といいながら、餌を足しつつ、きちんと私を認識しているのがわかって面白かった。しかし認識されているといっても、現金なもので、だから私にとってもなついて、手にのって甘えてくるといったほどのことではない。お腹がおちついたらあっというまに私に語りかけてもこなくなるし。

そんな小鳥たちも見ているとかなり性格がまちまち。

フィンチは好奇心旺盛で、逃げるのも早いけど、意外に人になかなかなれないセキセインコよりも、お腹さえ空いているならば、餌を乗せた手にやってくる。

1羽目にブリーダーから購入したセキセインコ、白色のピカは性格がキツイ。個性が強く相手に喧嘩を吹っかける。おまけに一度は手乗りでならされたものの、我が家に来てからは鳥友達がいるので人には甘えたりは決してしないけれど、お腹が空いてるときには、昔手乗りだったことを思い出してか、我慢しきれず人の手にも乗って餌をとる。

かつてペアだったはずの水色のルナは多分メスなのだろうとおもうけれど、これがほんとに人にまったくなれない。お腹が空いていようがなんだろうがどうしたって人間がちらとでもそばにいれば決して近寄ってはこない。いつも世話してもらってる恩などなにも感じていないほどに少しでもケージに手をいれたら、恐れおののき逃げ回る。また、ペアだったと思われる緑色のチュチュとはおさらばしたのか、若鳥のピカと普段いい感じ。仲良しでお互い羽づくろいをしあったりしている。

ペアでもらってきたうちの緑色のチュチュは、おとなしい性格で、人にもずいぶん慣れている。お腹がすいていればまっさきに人の手の上にものって餌を食べるし、少し止まり木をなおしてやったり、水を変えてやったりするために手をケージに入れてもあまり動じることなく、止まり木におとなしくとまっている。いつも優しい目をしている気がしていた。これが多分オスと思われた。というのも、ルナを巡って?かなり一方的にピカから何度も追い払われ攻撃を受けていたから。
見ていたらなんとなく『お前、わかいもんがきたら俺をすてるんか??』と水色のルナをたまに悲しい顔でみているような気がした。
実はなんどもいじめられているような(止まり木にとまっていたらピカがやってきて追いやるので、逃げて別の場所に泊まる。。するとまたピカがやってきてまた追い払われるという具合)様子を見ては、この心優しげなチュチュを別のケージに入れてやったほうがよいのでは?とおもったことがなんどかあった。精神的ストレスがあるのか?別の鳥に比べて、羽が抜けることが多かったように思ったからだ。
でも、それはそれで一羽寂しく他のケージに入れられるのもかわいそうなのでは?という気もして、結局なにもしなかった。

夏になって、外がとても明るい。暖かい。南国に住むはずのインコたちにとっては、きっと外のがきもちよかろうと、(フィンチもオーストラリアの暖かいところの鳥と聞いてるし)天気が暖かであれば外に出す日々が続いていていた。でも昨日はたまたま気温もちょっと下がり、さらに自分自身もいろいろ用事でバタバタしていたので、ケージも外にださなかった。ちらと眺めたところ、チュチュは羽の中に顔をうずめて寝てばかりいるように思えた。

今朝、いいお天気だな、暖かだな、、とおもったので、ケージを外に出すことにした。
と、ケージの床にチュチュがころりと転がってるのが目にはいった。
死んでいた。

大慌てで拾い上げると、まだ体は柔らかで温かみもほんのり残っていた。

小鳥たちとは毎日餌をあげたり水を変えたりはするけれど、それほど大きなコミュニケーションはなかった。
犬や猫と違う。手乗りでもなかった。
でも、チュチュはその中でも一番まだ人いなれていて、おまけになんだかちょっとかわいそうな境遇に陥っている様子だった。羽がたくさん抜けたときにはかなり心配した。体を膨らませて、ずいぶん調子が悪そうに思えたからだ。そんなこんなで、ずっと調子が悪いんじゃないかとおもったりして、一番気にしていた小鳥がもういとも簡単に死んで転がっていた。
昨日ちらとケージをのぞいて、寝てばかりいたのを思いだした。

なにをしてやれただろう?何もできなかったかもしれない。
もうずっと慢性の病気だったのかもしれない。

でも、もっと気にかけてやっていたらば。。一体いつから死んでしまうほどに弱ってしまっていたのか?
餌を食べる行動をしなくなってどれくらいたっていたのだろう?いや、食べていたんだろうか?
もっと様子を見てやるべきだった。
手に餌を乗せて与えてみたらば食べたのだろうか?? 
もっと前からケージを分けてやろうかと思ったりしたのに、やってやればよかったのではなかったか?? 
ミレットという粟粒の穂が好きで、ケージに入れたら人をあまり恐れないから、真っ先に近くによってきて食べていたことを思い出し、ミレットをあげてみたらばよかった等といろいろに思った。

昔我が家では犬も猫も小鳥も金魚もほんとにいろいろかっていた。
それらが亡くなるたびに泣き、もっとああしてやればよかったこうしてやればよかったと、やらなかったことを後悔したものだ。

いまこの年になって、また息子のためになんとなくわが家にきたペットの鳥一羽のために、こんな思いをするとは思わなかった。

息子の1年生の教科書に、犬を失った子供の話が載っていた。
毎日犬に愛してるといい、毎日その犬と過ごしたこどもが、犬が死んだときに、「ぼくは後悔してないよ、だって毎日きみに愛してるって伝えたもの」というセリフが書いてあったのを思い出す。

今日、2羽だけになった残りのセキセインコたちをじっと眺めた。
2羽は、昨日までいた自分達の仲間がいなくなって少し探しているようにも見えた。
反対に、ずっと2羽の間にいた邪魔者がいなくなってすっきりせいせいしたようにも見えた。
せいせいしたように勝手に自分の目に映ったときには、まるで2羽がチュチュを殺したようにも思えた。

笑える。
1羽の鳥の死からの自分の様々な感傷。
そして、同時に、これらすべてはすべて尽きてしまった小鳥の命をもう二度と救うことができない、意味のないものでしかないのに。
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# by tinbraun2 | 2015-07-08 16:30 | せいかつ

学校のおまつり

あと数日でこちらの学校はお休みに入ります。長ーい夏休みです。夏休みは日本と違って、呼び出される日など一日もありません。ラジオ体操ももちろんありませんし、水泳もありません。宿題もないので、とりあえずこの数か月の間に、学校にいっていたことすら忘れるのではないかという程です。ある意味、日本の学校もちょっとはお休みを楽しんだほうがよいのではと思いますが、アメリカの学校も、少しくらい宿題出したら?と思うのは私だけでしょうか。。

さて、そんな学校のお休み前は、もうすでにお休みに入る前のうきうき感がただよってくるような事柄が満載です。たとえば先週の土曜日は学校のお祭りがありました。子ザル君の学校は私立なのでこんなのがあるのか、公立でも休み前はこんなお祭りがあるのかしりませんが、とりあえず日本の学校でいえば学園祭のようなものですね。
子ザル君たちは学校が販売した学年別お揃い色のTシャツで、学校の音楽の時間に練習してきた歌を披露しました。
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歌を披露したのちは、この1年子供たちと一緒にすごしてきた先生がたへ感謝の言葉と共に花束が贈呈されていきます。
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子ザル君はこの担任の先生が大好き。彼女が花束を渡されているときには、飛び跳ねてエールを送っていました。
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学校の先生が大好きというのはとってもいいことですね。

さて、歌を披露した後はみんな学校が販売するチケットを購入して、学校のもうけた様々なブースへと散っていきます。お昼ご飯も、『トウモロコシ1ドル、ピザ・ベークドチキン、ホットドック2ドル』などといった形で販売されています。それらのブースは一応学校が用意しているものですが、両親にはあらかじめお手紙が来ていて、最低1時間はこのブースの設置や販売等のボランティアをすることとなっています。
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そのほか、子供たちが春になって撒いた種から作った野菜の苗を販売するブースや、ポットの飾りつけをして花苗を植えて持って帰るブース、ネイルやフェイスペインティングのブース、椅子取りゲームのようなゲームのブースなどなど、実にたくさんのブースがありました。一番モンタナの学校らしいのは、牧場を経営されている子供のご両親がボランティアで連れてきてくれた牛や馬によるポニーライド等があったことでしょうか。
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もうひとつ面白かったのは、子供が美術の時間に作った作品がサイレントオークションにかけられたということです。(子ザル君たちの作品は手の作品です。)
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オークションには他にも企業から提供されたさまざまなものが対象となっていましたが(たとえばピザとか、写真館での撮影とか、犬ぞり体験とか)、一番人気は子供たちの作品です。私もあまりに素敵だったので、何度か金額を書いてみましたが、いずれも最期は300ドルを超えていき、途中であきらめました。子供たちの作品が300ドルを超えるほどのオークションの対称となる、れっきとした芸術作品に仕上がっているというはすばらしいことだなと思ったのでした。日本でこんなこと、考えにくいですよね。。
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さて、私がこのお祭りで一番気になったことといえば、実はケーキ販売のブースでした。実は前もって、ブースでの1時間ボランティアの他に、手作りケーキやクッキーなどを持ってきてくださいとの依頼があったのですが、私はこれがまさか販売されるとしらず。おまけについつい日本人の感覚でとても小ぶりなマフィンや小さく切ったチーズケーキをもっていったことから、これらケーキはブース開店のころからずっと販売されており、他の商品がどんどん売れて別の商品に入れ替えられていく中最後の最後まで売れ残っているというみじめさ。食べてみたらばけして味にひけはとらないはず(?)なのですが、掌に余るほどの大きさのマフィンに、私が苦手なたくさんのあまいアイシングデコレーションを施されたかわいらしいお菓子たちに比べればかなり見劣りしているのは間違いない事実。結局様々な選択肢が消えていった頃にようやく少しずつ買う人がでてきて…それでも一番最後まで残っていました。
お祭りも終了してブースが片付き、トレーを引き取りに行ったらば、販売ブースでずっと販売担当だったひとに(たぶん私が気にしてちらちらとみていることを知っていたのでしょう)「買って食べた人は『すごーいおいしい!!!』といっていましたよ。」とのなぐさめの言葉をいただきました。。
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子ザル君はこのおまつり、ブースでのいろいろはさることながら、芝生に設置されたミニサッカー場(これは無料)で友達と走り回ってずっとサッカー三昧でとっても楽しかったようですが、私は前日から3種類のケーキを焼いた上、朝からブースの設置のボランティア、さらには売れ残るケーキの心配とで、なんだかとっても疲れてしまいました(笑)。
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これらの収益金はいつもであればNPOである学校の運転資金となるのですけれど、今年は焼けた納屋の再築に充てられることになっています。去年はお祭りの時期を日本で過ごしたのでこのお祭りが納屋の運転資金調達のためにさらに拡大バージョンとなっていたのか、もしくは毎年おんなじことをやってるのかはよくわかりませんでしたが、先生も生徒も生徒の親たちも一丸となったこのお祭り、かなりの資金が調達できたようで、これも非常にアメリカ的なことだなあと思ったのでした。
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# by tinbraun2 | 2015-06-03 18:45 | 文化考

ものごとの過程

以前長い記事で、くるみ割り人形のバレエの話をかきました。今回もほぼ似たようなものになってしまうかもしれないけれど、何枚も撮った写真を見ていると、なんとなく書いておこうかなという気持ちが抜けないので、ここに書き留めておこうと思います。

先日子ザル君のバレエの発表会がありました。日本語では発表会、おさらい会等ということになりますが、子ザル君の所属するバレエ団ではこれを‘Showcase’とよんでます。発表会ですので全部のレベルの子供たちが出演します。発表会ではありますが、ひとつのショーとして、チケットも販売するのです。ショーが開催される前は、各レベル、各クラスの子供たちは、毎週のおけいことして、この演目を練習してきました。子供たちは単にレッスンを受けている中でただその動きを覚えてきているのです。
ショーが開催される1週間前の土曜日は、全員のリハが行われました。教室自体はとても小さく狭いので、その日は午前からクラスごとに時間をわけて通し稽古があったのですが、ここで子供たちは初めてなんとなくいつもと違う雰囲気を感じ取るようになります。レベルが上のお姉さんたちが、自分たちが今まで練習してきたダンスを一緒に踊ることを初めて知ります。今までクラスで使われてきた音楽や踊りは、大きなショーのつながりの中のひとつなのだと知ることになるのです。
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それでもこの日はいつもと同じ狭い教室の中でのおさらいで、子供たちの様子もいつもとあまり変わりません。通し稽古ですので、リハーサルの予定はたとえ1時から3時と書かれてあっても、30分程もあれば終わってしまい、自分のリハが終われば次々にみんな退出してかえってしまうので、まだ自分たちが大きなうねりの中にあることにあまり気づかないのです。

舞台本番の日はこれが大きく変わります。
出かけていってはじめて自分たちが立つ舞台の大きさや、観客席の広さを確認します。
今回はレベルの異なるクラスごとの出演でしたので、子供たちは本番前のリハの時間は、同じクラスの子供たちと一緒に座るように言われていました。
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舞台では、当日本番の演目の順にどんどんリハがおこなわれていきます。
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それぞれの演目の音楽を決め、振り付けをした各クラスの先生や、総監督の先生が最終の確認を行っていきます。
子供たちは自分たちのクラスの順番をまつあいだ、これらを観客席や舞台そでで見つめるわけです。
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今まで息子が舞台に立つまでを何度か経験していますが、このリハーサルについて、出演する本人がいったいどのように感じているのかはよくわかりませんが、ただ見ているだけの人間にとってはかなり興味深いものがあります。きっと本番だけを眺めるのに比べて、本番直前のリハーサルも同時に見るのとは、自分の心の持ちようもかなり違うのだろうと思います。ただ見ているだけの自分がそう感じるのですから、実際に舞台に立つ子供たちの心も大きく変化している時間なのではないでしょうか?
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わたしはリハを見ながら、この舞台の監督たちをただただもう憧れの想いで見つめ、子供の頃、踊ってみることを選択しなかった自分にちょっと幻滅を感じていたのでした。

子ザル君たちのリハも無事に終わりました。
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そして午後5時、本番がはじまりました。
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観客席は満席、立ち見もいるのではと思う程の人々です。
舞台監督がそでに控え、本番の衣装を美しく着飾った人々の姿で、舞台の雰囲気も大きく変わります。
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フィナーレでは、舞台に出演したすべての子供たち(大人たちも)が挨拶しながら歩き、カーテンコールで全員が舞台にたちました。大きな拍手と歓声を受けて全員が舞台人となった瞬間でした。
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一度この高揚を味わうとなかなかやめられないといいますが、こざるくんもその一人な様子です。

普段の稽古をつなげ、まとめ、ひとつのものにしていく人々に憧憬の念を抱きつつ、
また、自分がかつてなしえなかった大きな舞台の出演を、子ザル君が経験できたことが、本当によかったと思うのでした。
 
おどるあほうに見るあほう、どうせあほならおどらにゃ損そん!といいますが。
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# by tinbraun2 | 2015-05-21 18:14 | せいかつ

アメリカお風呂事情

初めてこちらに引っ越してきたときに、かなり悲しかったことは、蛇口をひねったらいつでも熱いお湯が無制限ででるシステムじゃないということ。風呂を使ってる間に途中で水になってしまったときはかなり悲しかった。。
その上バスタブの中で洗剤を使わないといけないので、体をかなり洗いにくいこと。その上お風呂がとっても浅いこと。。
なぜお湯が出続けないかというと、ウオーターヒーターという機械があって、そのヒーターのタンクが常に暖かいお湯をためておくのだけど、そのタンク容量を超えると、さらに沸かしなおすまでに時間がかかって、水になってしまうということなのです。日本のお風呂とおんなじように、いつでも燃焼、際限なくお湯を出す機械がついている家もあるみたいですが、あいにく我が家はそれではなかったということ。
こういうお風呂の場合何が問題かというと、再燃焼もできないから、冬とかのお風呂はかなり寒い。アメリカは基本的にお風呂にはいるというより、シャワーがメインの家も多くて、お湯を再びわかさないといけないなんて観念もないし、おまけに石鹸を風呂の中で使う(=汚くなる)のでひとりにつき一人でお湯を使うという気持で考えられているので、お風呂の水が冷えて、次にお湯を使う人が寒いとかあまり関係がない。基本的にお風呂は必需品ではない家庭も多くて、シャワーしか使わない人もいるくらいの場所だから、お風呂でのお湯の使い方とかお風呂への概念はあまり発展しなかったのではないかという気分がします。

引っ越してきてから数年後、あまりに私が寒い、お湯がすぐに足りなくなるとぶつぶつぶつぶつと文句をいったことから、我が家のウオーターヒーターのタンクは2倍の大きさに買い替えられ、最近では最初に熱すぎるくらいのお湯をいれれば、家族二人分くらいは賄えるくらいの熱さのお湯を一気に使っても大丈夫になって、お風呂にあまり文句をいうこともなくなりました。しかしながら、たまに日本の実家に戻り、久々体を風呂の外で洗って、深いお風呂にのびのびとゆっくりつかると「あ~いい気持だなあ~」と思う気分はやはりなににも代えられず。日本の実家を離れる日の前日の風呂とはなんとも別れがたい気分にまでなるのでした。
そういう数年をすごしてきたわが家ですが、旦那が「この家の浅い風呂は大嫌いだ。リラックスして風呂につかることもままならない」といって、深い風呂を検討し始めました。そうしてみて初めてわかったことは、日本へいって深い風呂に浸かってきた人々に日本の風呂がかなりの影響を与えているようだということ。つまり、風呂を探しだしてみれば『日本式のあの深い風呂にゆっくりつかることのできるバスタブ!』といううたい文句でかなり日本式風呂が売り出されているということなのです。
我が家はお風呂場が狭いので、深い風呂の条件をクリアしたとしても、お風呂の長辺が長すぎるとお風呂場の中におさまりません。なのでかなりの長い間、旦那はコンピューターとにらめっこ、あちこちのサイトをさがしまくりました。探すこと数週間。やっと我が家の小さな空間にも(といっても風呂場のドアをいったん外さなければならないのですが)なんとか収まる深いお風呂を見つけることができました。昨日到着!!さて、いまからの風呂場工事がどれだけスムーズにいきますやら。。とりあえずこの深い風呂にのびのびと足を延ばして入ることができるのはまだ少し先のことになりそうです。
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# by tinbraun2 | 2015-05-08 01:45 | 文化考

自然度たっぷりのアメリカモンタナの大地で起こるいろんな発見をお伝えしていきます
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